テーマ:歩いて愉しむ東京(905)
カテゴリ:大人の遠足
姿見の池から北へ向かって住宅街の中を歩いて行くと、こんもりと茂った緑地がありました。
国分寺市重要史跡「恋ヶ窪村分水」(→→→こちら)という説明板がありました。 恋ヶ窪村分水は、玉川上水の分水で明暦3年(1657)に国分寺村・恋ヶ窪村、貫井村(今の小金井市)の3つの村が幕府に願い出て開削した。玉川上水の分水にしては規模が大きく、緑地内の堀の幅は上端部で約6~9m、堀底で約50センチメートル、深さは約5mで、堀底は北から南に向かって低く傾斜しています。 恋ヶ窪村分水は水田の灌漑用水として1970年代まで利用されてきました。現在は、大部分は暗渠となり姿を消しましたが、この恋ヶ窪用水路周辺緑地内に空堀の状態で保存されているそうです。 左手の柵の向こう側が水路の跡になっています。 これが空堀の状態で保存されている恋ヶ窪村分水の水路の跡です。 江戸時代には、こうやって水を確保して地域の農業を盛んにし、江戸に住む人達の食を支えていたんですね。 (秋の国分寺のコースです) 【つづく】 人気ブログランキングへ 秋の国分寺(その2) 恋ヶ窪村分水 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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