テーマ:歩いて愉しむ東京(947)
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伝通院前通りを歩いて行くと、この建物がありました。
![]() 日本指圧専門学校(→→→こちら)だそうです。 指圧というのは、日本独特の技法であって、あん摩・マッサージのように"もんだり""たたいたり"せず、手指や手掌で体表に「圧」を加える技法になります。 「あん摩マツサージ指圧師、はり師、きゆう師等に関する法律(昭和22年12月20日公布)」において、あん摩マッサージ指圧師免許もしくは医師免許(共に国家資格)がなければ指圧業として行う事は出来ないそうなので、こういう専門学校で勉強する必要があるんでしょうね。 ![]() そして、指圧と言えば、この方。浪越徳治郎(→→→こちら)。 「指圧の心は母ごころ、押せば命の泉湧く」というのがこの方の決めゼリフ。 ![]() 7歳の時、香川県から北海道留寿都村へ移住した徳冶郎の母マサはなれない旅の疲れと急激な生活環境の変化からか、到着直後から体中の痛みを訴え寝込んでしまったそうです。 母の苦しみを見かねた徳治郎は「撫でる」、「擦る」など必死に看病しましたが、そのうちに、からだのある部分、特に固く凝り固まっている箇所を母指で押してほぐす事により、不思議と母の容態が良くなってくることに気付いたそうです。 この母を思う子供が文字通り必死で「手当」をした結果が指圧という技法の起源になるそうです。 多分、母親の病気は多発性関節リウマチだったと思われますが、以前は、関節リウマチに対する有効な薬はなく、現在でも、関節リウマチそのものを治すことはできませんが、薬によって関節リウマチの進行を抑えることはできます。また、破壊されて変形した関節の機能を回復させる手術という手段もありますが、「手当」の気持ちって大切ですね。 ということで、伝通院にお参りさせてもらいました。 寺号碑には「無量山 伝通院 寿経寺」と刻まれています。 ![]() 「不許葷酒入山門(くんしゅさんもんにいるをゆるさず)」と刻まれた石柱も建っています。くさいにおいのする野菜と、酒は、修行の妨げになるので、寺の中に持ち込んではならない。とは言われたのですが、買った持ってお弁当に餃子が入っているんですけど、まあいいか。 ![]() 山門をくぐります。 ![]() 「徳川家康公生母於大の方」という幟です。でも普通、「於大の方の墓所」くらいの説明はあるのでは、それとも住職さん松島菜々子ファンで、於大の方推しだったりして。 ![]() 広い境内でした。 ![]() 境内にあった物故指聖供養塔です。 ![]() こちらは浪越徳次郎氏が寄贈した「指塚」だそうです。 ![]() 昭和63年(1988)に戦後2度目に再建された鉄筋コンクリート造りの本堂です。 ![]() 徳川家ゆかりのお寺だけに、徳川家だけが独占して使用を許された「葵の御紋(三つ葉葵)」を使ってますね。 ![]() そしてこちらが於大の方の墓所です。 ![]() こちらに於大の方(→→→こちら)の生涯についての説明がありました。 ![]() (徳川家ゆかりの地散策コース) 【つづく】 ![]() 人気ブログランキング 徳川家ゆかり地を巡る散策(その6)伝通院に参拝 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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