テーマ:そうだ、京都行こう!(940)
カテゴリ:思い出
東寺の西側にあるこの道路。
![]() 壬生通り、壬生川通り(→→→こちら)とも呼ばれているそうです。そして、平安京の壬生大路に相当するそうです。 ![]() 東寺から九条通をさらに西へ進むと、ちょっと大きな地蔵堂があります。 ![]() こういう地蔵堂も京都にあると、なにか由緒あるものに思えますね。 ![]() お参りしようと中に入ってみました。 ![]() この説明板には 「矢取地蔵尊」とありました。 どんなお地蔵様かというと、 824年(天長元年)、日照り続きで人々は飢えと渇きに苦しんでいた。そのため第53代・淳和天皇の勅命により、東寺の空海と西寺の守敏憎都(しゅびんそうず)が神泉苑の池畔で雨乞いの法会を行った。先に守敏が祈祷するも雨は降らず、対して空海が祈祷すると三日三晩にわたって雨が続き、国土が潤った。これにより守敏は空海を恨み、ついて空海を羅城門の近くで待ち伏せ矢を射かけた。すると一人の黒衣の僧が現れ、空海の身代わりとなって矢を受けたために、空海は難を逃れた。空海の身代わりとなった黒衣の僧は地蔵菩薩の化身であっため、その後の人々はこの身代わり地蔵を矢取の地蔵と呼び、羅城門の跡地であるこの地に地蔵尊を建立し、長く敬ってきた。 ![]() ということで、空海のピンチを救ったお地蔵様です。 ![]() そして、矢取地蔵尊の脇にあった「羅城門」(→→→こちら)の標識です。 ![]() 矢取地蔵尊の裏にあったこの小さな公園。 ![]() 羅城門遺跡の石碑がありました。 ![]() 「羅城門」は幅約35m、奥行き約9m、高さ約21mの大きな門だったそうで、朱雀大路の最南端に位置し、目の前を東西に延びる九条大路(現・九条通)を境界として平安京の内と外を分かつ門だったそうです。 ということは、この公園のあるところが、平安京の中心を南北に貫く朱雀大路のあった場所なんですね。 ![]() 「羅城門」は「羅生門」とも表記されることがありますが、「羅生門」というと芥川龍之介の小説(→→→こちら)で有名ですが、黒澤明による映画「羅生門」は、小説を原作にしているわけではなく、同じ芥川の「藪の中」が原作となっているそうです。 【つづく】 ![]() 人気ブログランキング 京都の謎を40年ぶりに解明(その2) 羅城門はここでした お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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