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この間の日記で書いたのは地震当日の覚書ですが、震災直後の生活はといえば・・・
1.ライフラインが整っていないのですっぴんの人が多かった。 (心の余裕もないし、水が出ないので顔が思い切り洗えないし・・・) 2.出かけるときは完全防備。 リュック、スニーカー、帽子、飲み物を持参。 (交通機関が機能していないので基本徒歩を覚悟して。) 3.よっぽどの用事がなければ家で過ごす。 (家族の居場所がわかるように) 4.寝るときもパジャマは着用しない。 すぐ避難できるように玄関に持って行く荷物をまとめておく。 車に非常持ち出し用の一式を積んでおく。 ・・・・こんな感じで生活しました。 一ヵ月半たち(もっと経ったような気がしますが・・・)仙台では少しずつ普通の生活に戻りつつあります。 やっと、何人か集まると「あの日」のことを話せるようになりました。 GWからテニスを始めようかと、この日曜日には地震でひび割れたテニスコートをテニス部員で修理しました。 不安を抱えながらも普通の生活に戻る努力を始めています。 今東北はどこも桜が満開。 仙台はもう終盤ですが、石巻は今まっ盛りです。 夫の通う石巻専修大学の桜並木も満開。 毎年市民の方々に開放して、お花見の名所になっています。 今年は桜並木の向こうのグランドにたくさんの色とりどりのテントが。 石巻市の災害ボランティアセンターになっている大学には、日本全国からたくさんのボランティアの方が来てくださり、テントで寝起きしています。 まだまだ寒い東北の3月、4月にテント生活は厳しいです。 本当に頭が下がります。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
今年の学園の桜は、いつもと同じはずですが、もの悲しく感じました。
人間の営みをよそにすでに新緑の季節に入り、諸行無常を感じます。 昨日は穏やかだった晴天が激変し、ホームセンターのクルマが飛ばされました。 5月3日~5日クルマで観音寺まで、お墓参りにお邪魔します。 渋滞覚悟で息子とのんびり行ってこようと考えています。 (2011年04月26日 14時40分51秒)
ぎんちゃん
花が美しければ美しいほど哀しみが同時にこみ上げてきます。 竜巻だいじょうぶでしたか? 天変地異が続きますね。 観音寺?四国の? ひょっとしてO君のご子息のお墓参りですか? こちらもつらいですね。 (2011年04月26日 14時54分26秒)
トラじゃなかった…エリザベスさん
と話していると楽しさがこみ上げてきますが? 右上に○○さんと名前がでますが、きんさん・ぎんさんみたいです。 観音寺は香川県でおっしゃるとおりです。 励ましの言葉も見つかりませんが、お線香をあげさせていただきます。 かつては東海道を岡山までチャリでしたが、今回はクルマです。 (2011年04月27日 09時04分12秒)
ぎんちゃんさん
子供に先立たれることほどつらいことはありませんね。 今回の震災でも多くの親御さんがそんな想いをしているんだろうと思うとつらいです。 どうぞよろしくお伝えくださいね。 (2011年04月27日 10時41分50秒)
石巻専修大学の桜並木は見事ですね!
桜から若葉へと今は春満開ですけど、いつもと違って今年は気持ちが少しも弾みません…。 テニスが始まると、少しは変わりますか? ぜひごいっしょに楽しめればと思っています。 (2011年04月27日 19時25分05秒)
はるこさん
>石巻専修大学の桜並木は見事ですね! 開校から20年余りたち、桜並木も立派になりました。 広瀬の杜の桜もきれいに成長しましたね。 復興したら石巻の日和山の花見と川開きの花火に行きましょう! すばらしいですよ。 (2011年04月27日 20時04分44秒)
エリザベスさん
石巻専修大学のさくら綺麗ですね 開校から20年 まだ若い大学ですね 20年で立派なさくらに成長してますね 毎年咲くさくら感慨深いものがあります。 余震のたびにびくびくして心臓に悪いですね 今日テレビで仙台の街の様子が映ってましたが だいぶ活気が戻ってきたみたいで嬉しいです。 (2011年04月30日 07時30分23秒)
さくらさん
さくらさん 仙台市内はほぼ平常を取り戻りつつあります。 いつものように友達とランチにいくようになり、そうすると「震災サービス」とかで500円引きになっていたり。(笑) 専修大は石巻のボランティアセンターになっていてたくさんのボランティアの方が集まっています。 現在の石巻市長が2.3年前まで専修大の先生でしたので協力し合って石巻を復興させたいです。 昨日もね、ムクゲさんに電話中に余震があり、あわてて電話を切った次第です。 夜中にも携帯の緊急地震警報で起こされました。 これは関東地方の地震のようで揺れませんでしたが。 寝不足です。 (2011年04月30日 09時12分13秒)
3月中は、全く上記のとおりの生活でした。
出かける時はすっぴんでジャージにスニーカー、髪が洗えないから帽子をかぶって、リュックを背負う。でもほとんどは家にいる。寝る時は枕元に貴重品、玄関近くにヘルメット、家のあちこちに懐中電灯、居間には防災グッズに食料品のダンボール。 私達はやっと今、いろいろ話せるようになったけれど、だんだん地震の報道は少なくなって置いていかれるような気がします。 (2011年05月05日 20時46分43秒)
名前が、じょ、になってしまいました。じょあんなです。
(2011年05月05日 20時48分27秒)
じょあんなさん
だんだん日常を取り戻してきていますが、まだま地震直後の状態のままというかたがたもいるようです。 おとといは野蒜の避難所にいるご近所の慰問にいきましたが、先行きのみえない状態に力のない表情をされていました。 私たちも被災者だけどしらんぷりして日常に戻っていいのかなって考えてしまいます。 でもとりあえずは自分たちが元気を取り戻さないとね。 (2011年05月06日 08時39分57秒) |