テーマ:ニュース(99411)
カテゴリ:最近のニュースより
アフリカ北東部にあるスーダンは、昔から何度も内戦を繰り返してきました。
その後2011年に南部が南スーダンとして独立しますが、 スーダンとして残った部分では最近になって国軍と準軍事組織RSFとの間で 武力衝突が激化しました。 そんな中、イスラム教の断食月明けの祝日が現地時間の21日から始まることを受け、 72時間(3日間)の停戦期間が設けられることになりました。 これを受けてスーダンに在留していた自国の国民をスーダンから退避させるべく、 各国の軍隊が救出作戦を行いました。 日本でも自衛隊による在留邦人の退避が行われ、 スーダンから東にあり自衛隊が有事の際の海外拠点を構えている ジブチという国に到着しました。 彼らはチャーター機で帰国の途につき、29日の朝に羽田空港に到着しました。 スーダンから退避した在留邦人は48人で、その中には現地で15年以上にわたり、 医療支援を行ってきた北九州市のNPO法人『ロシナンテス』の代表である 川原尚行医師も含まれていました。 同じように福岡出身で内戦が続く中東のアフガニスタンでの支援活動中に 武力衝突に巻き込まれて命を落とされた故・中村哲医師のことが記憶に新しい中、 無事に帰国されたことに安堵しました。 川原医師がスーダンから脱出して帰国するまでの経緯は以下の通りです。 (日付はいずれも現地時間) ・23日未明:スーダンの首都ハルツームを脱出。 ・国軍とRSFの勢力圏を何度もまたぎながら車で移動し、 丸1日かけて東部のポートスーダンに到着。 ・24日に自衛隊機でジブチに到着。 ・28日にチャーター機で日本へ向け出発。 川原医師はスーダンの方から、 ・いつ襲われるか分からないから気をつけろ。 ・お金を要求されたら絶対に渡せ。 ・自分が医師であることを言うな。 というアドバイスを受けていたそうです。 どちらの勢力にせよなりふり構わず襲ってくることも考えられ、 金銭の要求を断られたら命が無くなる可能性も高く、 医師だと分かれば強制的に傷病兵の手当てをさせられるということで、 スーダン国内の移動中は文字通り命がけだったことだと思います。 そのためもあってか川原医師は、 「飛行機から富士山が見えたときは涙がこぼれそうだった。」 と語っていました。 川原医師は29日に羽田空港で家族と再会した後、 その日の夕方に北九州空港に戻り、ロシナンテスの関係者と再会しました。 29日は川原医師夫妻の結婚記念日ということで、 昨夜は久々に家族との時間を過ごせたのではないかと思います。 「家族と語り合える、当たり前のことなんですけど その当たり前のことがすごく幸せなんだなと思いました。」 という川原医師のコメントは非常に説得力があると感じました。 川原医師は5月2日に北九州市役所を訪問する予定で、 その後にも自衛隊、外務省、JICA(国際協力機構)にもお礼のあいさつを行う予定です。 スーダンの内戦が1日でも早く集結し、川原医師が再び安全にスーダンで 医療支援活動ができる日が来るといいですね。 それでは、これにて失礼。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2023年04月30日 12時48分03秒
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