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今日は、これから三重で仕事なので早めにアップします
シュタイナー教育では「教育芸術」という言葉を使います。 芸術教育ではありません。 確かに、シュタイナー教育では芸術的な活動をいっぱい取り入れています。そのため、シュタイナー教育を芸術をいっぱい教える教育のように勘違いしている人もいるようです。 でも、そうではありません。 教育芸術とは、“教育という芸術”という意味なのです。 教師は芸術家のように授業に、そして子どもたちに向き合いなさいということなのです。 じゃあ、その“芸術家のように”というのはどういう意味なのかと言うことです。 まず、自分の頭で考え、自分の感性で感じ、自分の意志で決断し、自分の責任で行動することが求められます。 どんな分野であろうと、これが出来ない人は芸術家には成れません。 また、一期一会を大切にします。 授業は教師にとっては毎日繰り返されるお仕事なのかも知れませんが、子どもにとっては毎日が新しいのです。そして、毎日が全てなんです。 昨日まで楽しくても、今日楽しくなければ学校には行けないのです。 先生のちょっとした言葉、行為がきっかけで、次の日には子どもが学校に来ることができなくなってしまうことだってあるのです。さらには、その子どもの一生を縛り続けることになることすらあるのです。子どもの心に消しゴムは使えないのです。 それは、学びにおいても同じです。先生のちょっとしたひと言でその勉強が好きになり、その子どもの一生を決めてしまうこともあるのです。もちろん、その逆もあります。 その事を知っていたら、先生も毎日一期一会の気持ちで子どもと向き合う必要があるのです。 また、創造的であることを大切にします。 子どもは創造的な活動が大好きです。 創造的な活動をしている時、子どもの心は冒険者のようにワクワク、生き生きしてきます。 なぜならそこに“ものがたり”が生まれるからです。 そして、それは芸術的な活動の時だけではありません。遊びでも、勉強でも同じなんです。 子どもたちは、学ぶことが創造的に与えられた時、自ら学ぼうとし始めます。なぜなら、“ものがたり”の次の展開を知りたくなるからです。 でも、今の日本の教育ではこれが決定的に失われています。 今、日本の子どもたちの“学ぶ意欲の低下”が問題になっていますが、実はこの授業の中での創造性の欠如が非常に強く影響しているのです。 それは、先生達が創造的ではなくなったということと関係しています。また、それは先生が急がしすぎるという事と関係しています。時間に追われる人は創造的に考えることなどできないのです。 教える量を増やしても、学ぶ意欲が目覚めなければ全てが無駄なんです。 もし、子どもたちの学力を上げたいのなら、先生達を自由にしてあげることです。フィンランドの先生の仕事は基本的に授業だけのようです。他の事は専門の職員がいるのです。でも、日本の先生は一人で全てをこなしています。 この、創造的あることと関係してきますが、“ジャンルにとらわれない”ということも大切です。 この問題は指導要領とも関係しているので、日本の教育でこれを実現するのはなかなか困難だと思います。 子どもたちにしてみれば、別々のことだと思っていたことがみんなつながっていたという事を知るのはワクワクするものなのです。新しい“ものがたり”が産まれるからです。 ということで、尻切れトンボですが今日はここまでにしておきます。 出かける準備がありますから。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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