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自己肯定感が低い人は「出来ること」より「出来ないこと」を探す方が得意です。いつでも子どもの「出来ないこと」、自分の「出来ないこと」ばかり探して、自分がまるで悲劇のヒロインであるかのように悲しみます。
でも、実際にはそのような子や人を見ていても、決して能力的に劣っているわけではありません。ただ共通してあるのは「社交性が乏しい」ということぐらいで、他の能力に関してはむしろ高い場合も多いのです。でも、いつでも「出来ないこと」ばかり探しているのです。 もしかしたらこの「社交性が乏しい」ということと、「自己肯定感が低い」ということはつながっているのかも知れません。 社交性の乏しい人は他の人とのつながり方がよく分かりません。そのような人は「自分の心」にばかりこだわる癖があるので、他の人に心を開くことがなかなか出来ないのです。 そのため受け入れてもらっているのに、その受け入れられていることを感じることができません。また、感じたとしても、そのことで「相手に迷惑を掛けているのではないか」、「期待を裏切ってしまうのではないか」と苦痛になります。 そして、必要以上に相手の期待に応えようと頑張ってしまうか、苦しいので相手から離れていきます。最初のうちは相手に合わせようと頑張っていて、途中で苦しくなって離れていってしまうことも多く、そのような場合その相手は「なぜ????」「理解不能」と感じます。 そのような人は、素直に「出来ないこと」を「出来ません」と言うことが出来ません。「知らないこと」を「知りません」と言うことが出来ません。相手の期待を裏切ってしまうことを恐れているからです。相手の期待を裏切ってしまったら自分の評価が下がってしまいます。 さらには、「出来ること」でさえ、「出来ます」とは言いません。「出来ます」と言ったら「じゃあやって下さい」と言われるかも知れません。でも、それで失敗してしまったら自分の評価が下がってしまいます。 実際には、誰もあなたを評価などしようとは思っていないのですが、いつでも相手からの評価を気にしてしまうのです。だから、必然的に他の人との親しい関係を築くことが出来ないのです。 でも、そこに大きな勘違いがあります。 人は、「出来ないこと」は「出来ません」と言い、「出来ること」は「出来ます」と言ってちゃんと行動してくれる人を「素敵な人」と評価するものなのです。たとえ失敗してもチャレンジする人を信頼するものなのです。むしろ、期待に合わせようとするばかりで、自分の意志で積極的に動こうとはしない人の評価は下がってしまうのです。 つまり、自己肯定感の低い人は、相手の評価を得たいがために、自分の評価を下げるようなことばかりを繰り返してしまうのです。だからいつまで経ってもその状態から抜け出すことが出来ないのです。 また、「自分の子ども」も、「他の人が自分を評価する時の判断材料」と考えていますから、子どもにも「期待に応えること」を強く要求してしまいます。結果、子どものありのままの状態を受け入れることが出来ずに、「理想という型」にはめ込もうとして子どもを追い立てることになります。 その時、待つことが出来ません。待っていたら子どもは自分で自分の型を作ってしまうので、お母さんが期待する「理想の型」からどんどん離れていってしまうからです。 でも、待ってあげてください。それは子どものためであると同時に、あなたのために必要なことだからです。 子どもを待つことが出来るようになった時、あなたは他の人の評価を気にすることがなくなるでしょう。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
森の声さんへ
コメントを書くのは初めてですが、いつも読んではヒントをいただいてます。 今日の、出来る/出来ないのくだりもまたよいきっかけです。そんな長い間の習慣から抜け出そうとしているところです。 傍からみるとそんなふうなんだ、という風に理解できました。 きょう感じたこの滑稽さを思い出せば修正していけそうです。どうもありがとうございます! (2010.03.08 12:42:54)
>また、「自分の子ども」も、「他の人が自分を評価する時の判断材料」と考えていますから、子どもにも「期待に応えること」を強く要求してしまいます。結果、子どものありのままの状態を受け入れることが出来ずに、「理想という型」にはめ込もうとして子どもを追い立てることになります。
これは、息子の高校受験を終え、実感としてわかります。何かお母さん達は自分の子供が入った高校の偏差値で「うちの子は偏差値の低い学校だから・・・」などと卑下してお話しされたりします。また、偏差値の高い高校に合格したお子さんを持つお母さんを褒め称えます(笑)思わず「偏差値なんて関係ないですよ。子供が行きたいと望む高校に入学できるということが一番幸せなことだと思うんですが・・・」と言ってしまいました(汗) 毎日、新聞に塾の折込広告が入ってきます。今の時期○○学校 ○○名 合格 とズラーッと書いてあります。私はなぜかあれを見ると追い立てられた子供たちの悲鳴が聞こえてきます。 あまのじゃくなんでしょうかね。親子で一生懸命塾通いを頑張られている方に、怒られそうですね。 でも、子供たちと一緒に過ごす夕食の時間を塾に盗られなくて本当によかったと実感しています。 こんな私は、このブログを読むと安心します。 ありがとうございます。 (2010.03.08 14:27:10)
自己肯定感が、弱ってきていた息子もこの1年でずいぶん回復しました。学校で認められるということは大きいようです。
息子は通常の学年通りの学習面で発達はしていませんが、人間的には私の及ばない寛容さがあります。 自分に根拠のない自信があります。 私はたまにおどろいちゃいますが・・・・ そんな話を友人にすると、その友人は私をほめてくれます。上手に育てたねと。 私より夫の力が大きいと思ってますが、そんなふうに友人から言ってもらえると私もうれしくなっちゃいます。 ああ、単純。なので、子どももほめて育てようと思う私です。 パンケーさん >あまのじゃくなんでしょうかね。親子で一生懸命塾通いを頑張られている方に、怒られそうですね。 >でも、子供たちと一緒に過ごす夕食の時間を塾に盗られなくて本当によかったと実感しています。 私ももそんなふうに思っているひとりです。 お仲間ですね。 (2010.03.08 21:44:09)
ハニーさん
>傍からみるとそんなふうなんだ、という風に理解できました。 気質でもそうなのですが、その「特徴」は基本的に「他の人から見た場合にそう見える」ということです。 「自分が理解している自分と」と、「他の人から見える自分」は同じではないと言うことです。 (2010.03.09 09:03:22)
パンケーさん
>あまのじゃくなんでしょうかね。親子で一生懸命塾通いを頑張られている方に、怒られそうですね。 >でも、子供たちと一緒に過ごす夕食の時間を塾に盗られなくて本当によかったと実感しています。 うちも子どもを勉強や塾に追い立てないので、毎日が平和です。 (2010.03.09 09:04:36)
うさぎとかめさん
>自己肯定感が、弱ってきていた息子もこの1年でずいぶん回復しました。学校で認められるということは大きいようです。 全くそう思いますが、でも、一般的にはそれがなかなか期待できないのが現実ですよね。 (2010.03.09 09:06:50)
昨日のブログの逃げるだけの人は成長しないに近い事を息子にいったばかりです…。
息子は,ほとんど勉強をせず,そのくせ試験の結果に対しては「どうせ俺なんてこんなもんでしょ」的な事をいうのです。 部活もさぼってばかりいて「俺だけ下手だ。」というのです。 学校が子どもに任せて親は見守って,という方針なので,うるさくいわない方がいいのかな,と思いつつ「努力もする前から何いってんの!試験前に早く家に帰れるのも,遊びにいくためじゃないでしょ。先生が,時間をくれて,ポイントも教えてくれてるのにそれに答えようともしないで逃げるのはおかしい。部活だって,行かなきゃ上手くならないのは当たり前。そんな態度でやってるなら辞めてしまいなさい.」といってしまいました。 で,今日は保護者会で,一人のお母さんが待つ事の大切さという話をされて,私は待ててないのかなあ,がんばれる子,という自分の理想を押し付けているのかしら,と思っていたのです。 でも,まあ,正解どおりの子育てができるわけじゃ無し,今後も,自分と我が子を見つめながら育てていくしかないか,と思い,答えは棚上げにしてあります。 ちなみに,今日「部活は,バスケ自体は試合に出させてもらったりして面白いと思えてきたところ.それなのにさぼって友達と遊びたいと思うのはママの言う通り弱さなんだと思う。勉強も,宿題をするようにし始めたら(宿題も最初はやってなくて,私がせめて決められた事はやろうよ,と声かけしてやるようになった)少しはわかるようになったし,やればできるんだと思えるようになった。勉強も部活ももう少しがんばろうと思うから,部活やらせてほしい.」といってきました。 これを良い方に考えたらいいのか,追いつめちゃったと思ったらいいのかもよく分からないのですが,息子の顔は悲痛そうではなかったので,とりあえずは様子を見ようと思っています。 (2010.03.10 00:55:56) |