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森へ行こう(心とからだと子育てと)

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森の声

森の声

2011.01.20
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昨日本屋さんに行ったら、『なぜ日本人は劣化したか』(香山リカ著)、『なぜ日本人は学ばなくなったのか 』(斉藤孝著)というタイトルの本が目に付きました。

このように、今の日本人の状態を非常に深刻な問題と考えている人は少なくありません。実際、本屋さんに行くとこのようなニュアンスのタイトルの本がいっぱい並んでいます。

そして私も、今の日本人の状態は非常に困った状態だと考えています。でも、私は日本人が本質的に劣化したとは考えていません。(劣化し始めているとは感じていますけど・・・)

じゃあ、どうしてこういう状態になってしまっているのかということです。
それは、日本人が現在の日本のシステムに対して不適応状態に陥ってしまっているからなのです。

海辺で暮らしていた人々を山に移住させたら、うまく生活できなくて困るでしょう。南国で暮らしていた人々を北国に移住させたら、不適応を起こすでしょう。豊かな自然と共に生きていた人々を、砂漠に移住させたら暮らしていけなくなるでしょう。実際、大自然と共に生きていたアメリカインディアンを居留地に閉じこめてしまったら、誇りと自信を失い、劣化したようになってしまった、という事実があります。

そのような人々の状態は、昔からその場所で生きてきた人々、昔からそのような生き方をしてきた人々から見たら、まぬけで、劣ったように見えるかも知れません。でも、それは単に「その状況に適応できない」というだけのことであって、その人々が劣化したわけではありません。

生まれた時からジャングルの中で暮らしてきた人々を都会に連れてきたら、自信を失い、「間抜けな人たち」のようになってしまうでしょう、でも逆に都会人をジャングルに連れて行ったら、彼らの方が賢くて、都会人の方が間抜けなってしまうでしょう。

そして、日本人もまた同じです。日本は明治維新以来、欧米の文化や文明だけが正解であり、それまでの日本の文化や文明は間違っていたと思い込んできました。

今でこそ、多くの日本人が、禅や茶道や浮世絵や能などの、日本の美術や風土や文化を「日本の誇り」と考えていますが、実はそれは欧米の人達に指摘されたからでもあるのです。

明治維新の時には、日本人はそれまでの日本の文化を何でもかんでも捨てようとしてしまいました。日本語廃止論まで出たのです。そんな時、それを「貴重なもの」「素晴らしいもの」として指摘し、収拾したのは他ならぬ欧米の人達なのです。

浮世絵などは欧米への輸出品を包む「包装紙」として、欧米に送られたのです。「美術品」ではなく「包装紙」としてです。その「包装紙」を見て、ヨーロッパの人達は驚き、浮世絵ブームが起きたのです。

「つめくさ」(クローバー)は逆に、オランダからのガラス製品の梱包材として日本に入ってきました。そして、日本中に広がりました。

今、日本人が「日本の誇り」と考えている日本の文化の多くは、欧米の人達から「素晴らしい」とお墨付きを貰ったから、「日本の素晴らしい文化」として日本人も受け入れるようになったのです。だから実はそんなに自慢できることではないのです。

昨日の新聞に、日本の素晴らしい技術にパッと飛びついてお金を出すのは中国や台湾の企業で、日本の大企業は「実績がない」という理由だけで見向いてもくれない、というある企業の経営者の話が載っていました。

これは科学や芸術や政治などの分野全般に言えることですが、日本人は欧米の人達によって肯定されたものしか肯定できなくなってしまっているのです。
欧米の人達の価値観だけを「正解」として考えているので、自分たちの価値観で物事を判断できないのです。

そして、今の日本の政治システムも、経済システムも、基本的には欧米的な価値観に基づいているので、日本人の気質がそれに適応出来ないのです。だから、見かけだけ繕うことばかり考えているのです。

それはまるで、世間の目を気にしながら子育てをしているようなものです。偉い人が書いた育児書だけを正解として、我が子をその育児書通りに育てようとしているようなものです。

でも、それでは子どもは育ちません。子どもは「育児書」ではなく、「自分」を見て欲しいのです。他の子との比較ではなく、自分の成長を喜んで欲しいのです。どっかから持ってきた「他人の価値観」ではなく「お母さんの価値観」をしっかりと持って欲しいのです。

そして子どもは、お母さんにその事を訴えようと、様々な形で心やからだにトラブルを発生させます。

今の日本人の状態はまさにそのような子どもと同じなのではないかと思うのです。

以前、読んだ本に、「イギリスの人はイギリス人のような日本人より、日本人らしい日本人を尊敬する」というようなことが書いてありました。
多分これはイギリス人だけでなく、欧米の人全般の価値観だろうと思います。それが「個性」を大切にする欧米文化の基本だと思うからです。

それは、ネイティブのような流暢な発音で会話が出来る人より、たとえ下手くそなジャパニッシュでも、堂々と自分の意見を述べることが出来る日本人の方が好意を持たれるということです。

日本人は欧米の人に好かれようと思って、欧米の人達の価値観を取りいれ、色々な点で真似をしてきました。でも、それ故に、欧米の人達にとっては「あまり信用できない相手」になってしまっているのです。

そして、本音は別の所にあるのに、見かけだけ相手に合わせているので心とからだに歪みを生じているのです。

じゃあ、どうしたらいいのかということです。
実は、この答えのヒントも「子育て」にあります。
それは、「比較しない」、「競争しない」、「つながりや関わりを楽しむ」ということです。

日本人は、本質的に憂鬱質や粘液質が強いので「競争」には向いていないのです。胆汁が強い欧米の人と戦っても勝てるわけがないのです。

憂鬱質が強い人が競争しようとすると、見かけだけを整えようとします。粘液質が強い人には闘争心がありません。

そういうことを言うと、「それでは国際的な競争に負けてしまう」「日本の競争力が落ちてしまう」と考える人もいるかも知れません。

でも、欧米の価値基準で欧米と戦っても勝てるわけがないのです。競争などしなくても、日本が「世界中のみんなに必要なもの」、「世界中のみんなが求めるもの」を提供できるような国になれば、ちゃんと国際社会の中で生き残って行くことが出来るのです。

江戸時代、200年以上日本は「鎖国」をしてきました。実際には色々な国との交流はあったようですが、他の国と競争してこなかったのは事実です。

じゃあ、そんな日本には競争力がなかったのかというと、そんなことはなかったですよね。開国と同時にあっという間に欧米に追いついてしまったということは、競争はしていなかったけど、競争力はちゃんと育っていたのです。

でも、それ以降200年近く海外の国と競争を続けてきたのに、日本の競争力はますます低下しています。

それは見かけの競争ばかりに熱心になって、基礎的な地力、基礎体力を育てることを忘れてしまったからです。

今の「学力低下」の問題にも同じことが言えます。勉強以前に学ぶべき事、身につけるべきことを身につけさせることなく、競争ばかりやらせているから学力が低下してしまっているのです。

勉強ばかりさせても学力は上がらないのです。それと同じように、競走ばかりしていても、競争力は上がらないのです。

競争や戦いが専門のスポーツや武道の世界でさえ同じです。戦いに勝つか負けるかは、日々のトレーニングの結果にしか過ぎません。

子育てでも、経済でも、政治でも、ここいらで競争をやめましょうよ。





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Last updated  2011.01.20 14:59:49
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