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森へ行こう(心とからだと子育てと)

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森の声

森の声

2014.12.14
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カテゴリ:カテゴリ未分類
知り合いがFBの方に

篠秀夫さんの今日のブログ。
私が最近よく考えていること。
「答えは自分の中にある」ということに通じるなあ。。


と書いて下さったので、昨日の話の続きとして、このことについて書いてみます。

「答えは自分の中にある」という言葉は昔から言われてきた言葉ですが、これは半分真実で、半分は間違いです。

昨日も、
でも、生まれたばかりの赤ちゃんでも、「今、自分の成長には何が必要なのか」ということが本能的に分かります。

中味は空っぽでも、「今の自分には何が必要で何が必要でないか」を判断する能力や、その「中味を求める方法」はちゃんと知っているのです。


と書きましたが、人は「自分にとって必要なこと」は、本能的に自分で知っています。子どもの頃からの様々な「悲しく苦しいこと」に囚われて、今も自由に生きることが出来ない人も、「どうしたらいいのか」ということは、冷静に自分自身に問いかければ分かるのです。

それをただ頭で考えたり、他人に正解を求めてしまうから迷路に入り込んでしまうのです。


「考える」のではなく、「私は何を求めているんだろう」と自分自身に「問いかける」のです。

なぜなら、「本当の答え」を知っているのは、「私という意識によって支えられている自分」ではなく、「自分の中にいて自分にさえも無視されている自分」の方だからです。

実は、私がいつも書いている「感じる」とは、その「自分の中の自分」に問いかけることなのです。

それが分からない人は、私が「感じてみて下さい」と言っても分かりません。


以前、ワークで「自分の足の指を感じてみて下さい」と言ったら、「どうやって感じるんですか」と聞いてきた人がいました。

そのような人は、考えてしまうばかりで、自分自身に問いかけることが出来ない人です。

誰でも人に触れられれば、感じることが出来ます。それが出来ないようならお医者さんに行った方がいいです。

動物たちも実際に触れられれば感じます。

でも、人は、自分自身に問いかけることで、触れられていないときにも感じることが出来るのです。多分それは人間だけの能力です。

「自分に問いかける」ということが出来るのは人間だけだからです。

「生きている実感」も、「自分」に問いかけることで得ることが出来ます。

それが出来ない人は「強い刺激」の中に「生きている実感」を求めます。でも、それは中毒になります。そして、「自分」を失います。

そのような行為は、自分で自分をつねることで自分を感じようとする行為と同じです。
でもそれは、「自分自身の否定」に他なりません。

暴走族などが暴走行為をしているときに感じることが出来る「生きている実感」は幻想です。

自分に問いかけることで、何にも触れていなくても、自分の手を感じる事が出来るのと同じように、人は、ただ静かにしているだけでも「生きている実感」を感じることは出来るのです。

だって、「生命」はどんな時でも働いているのですから。


でも、実際には、「自分」に問いかけることが困難な人の方が多い様な気がします。そのような人は反射や本能ばかりで考え、行動しています。

それが、同じものを見ても、同じ音を聞いても、同じ体験をしても、「感じることが出来る人」と「感じる事が出来ない人」がいる理由です。

また、自分に問いかけることが出来ない人は、本当の意味での「考える」ということも出来ません。

そのような人は「答えを探す行為」を「考えること」だと思い込んでいます。学校でそのように訓練されてしまったからなのでしょうか。

そのような人の「感じる」は五感の機能としての「感じる」であって、「味わう」という働きとつながった「感じる」ではありません。

だから、自分自身の「手」や、「足」や、「からだ」や、「心」を感じる事が出来ないのです。

そしてだから、「自分にとって必要な答え」を見つけることが出来ないのです。

「自分にとって必要な答え」は、頭で考えても分からないのです。人に求めても与えられません。「自分にとって必要な答え」は、自分の中にしかないからです。だから「自分」に問いかける必要があるのです。

逆に言えば、他の人に必要な答えは、その人にしか分からないということです。

私に「答え」を求められても、私はその「答え」を提供することが出来ません。

だから、私はいつも「私が書いていることは全てヒントに過ぎません」と書いているのです。

目の前に苦しんでいる人がいても、その人がその苦しみから抜け出すためには、自分自身で答えを見つけるしかないのです。

周囲の人に出来るのは、その手助けをすることだけです。

子どもが苦しんでいるときも同じです。

そんな時、「これが正解だからこれに従いなさい」と押し付けてしまったら、子どもの成長を阻害することになります。







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Last updated  2014.12.14 06:44:58
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