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スポーツ活動の指導者達は、よく、「スポーツ活動を通して子どもの健全な心を育てる」などというようなことを言います。
もしこれが事実なら、スポーツの指導者達はみんな人格者ばかりで、それをやっている子どもたちも心が育った子ばかりなのでしょう。 時々ニュースになる運動部内のイジメや麻薬や暴力などの事件は「まぼろしー」なんでしょう。 でもどうもそれは現実のようです。 そもそも“心”の育ちには何が必要で、心はどのように育つものなのでしょうか。 スポーツなどの活動にはその要素がちゃんと含まれていると言うことなのでしょうか。 スポーツの指導者はその「心を育てるノウハウ」を知っていると言うことなのでしょうか。 また、心がどのような状態になったら「育った」と判断できるのでしょうか。 さらに、「心が育った子」と「心が育っていない子」とでは、何がどのように違うのでしょうか。 指導者の言うことに素直に従う子が「心が育った子」で、指導者の言葉に従わなかったり、練習に付いていけない子は「心の育ちが後れている子」ということなのでしょうか。 などなどと、色々な疑問が湧いてきてしまいます。 でも、別に私はスポーツを目の敵にしているわけではありません。 学校でも“心の教育”と称して同じようなことをしているわけですからこれは野球の指導者だけに対する疑問でもありません。 同じような感覚で子どもを育てている人もいっぱいいます。「優しくしなさい!」などと怒鳴っているお母さんはそのようなタイプの人だと思います。 みんな「心って何だろう」という根本的なところを議論せずに、「心」を押しつけているように感じるのです。 「よいこと」や「よい行動」を押しつければ、「よい子に育つ」と思いこんでいるようなのです。学校でやっている道徳教育がその象徴です。 “そんなことしちゃ ○○ちゃんがかわいそうでしょ”とか、“みんなともっと仲良くしなきゃだめでしょ”と子どもに言っているお母さんはいっぱいいます。 でも、多くの場合それは無駄な努力です。 実際、それが無駄な努力であることはお母さんご自身がよく知っていることだろうと思います。何回言っても子どもは同じ事を繰り返すからです。 それでも、何か言っておかないと相手のお母さんに対してメンツが立たないとか、不安になるとか、そういうことなのでしょう。 ちなみに、心は育てるものではありません。 心は“自らの力”で育つものなんです。 大人に出来ることは、その育ちに必要な出会いを与え、その育ちを見守り、その育ちを助けるように補助をするだけなんです。 それは草や木の育ちと同じです。 ですから、「良いこと」を押しつけても子どもの心が育つ栄養にはならないのです。 リンゴの木の苗のそばで「早く大きくなれ」「早く美味しいリンゴを実らせろ」と怒鳴っても無駄ですよね。それと同じです。 子どもは、自分の心の育ちを見守ってくれているお母さんの心を感じて自分の心を育てていきます。 ですから、子育ての方法なんて知らなくてもOKなんです。 いっぱい子育ての方法を知っていても、その方法にこだわっていて、「子どもの心」ときちんと向き合っていなければ子どもの心は淋しくなります。それは、心の成長にとって“栄養不足”ということになります。 でも、方法なんか何にも知らなくても、子どもの心を感じてちゃんと向き合ってあげていれば、子どもは自分の力で自分の心を育てていくのです。 心はそのように出来ているのです。 つまり、子育て初心者の人でも何にも恐れることはないのです。 子どもの心の育ちに知識や経験はあまり必要ないのです。 最後に、 子どもは話を聞いてくれる人の話に耳を傾けます。 子どもから学ぼうとする人から学ぼうとします。 自分を信頼してくれる人の言葉を受けいれます。 なぜなら、大人がそのような態度で子どもと向き合うことで、大人と子どもの間に(心と心をつなげる)回路が作られるからです。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
2024.05.05 07:16:37
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