落日燃ゆ (城山三郎)
A級戦犯文官中唯一の絞首刑となった広田弘毅(廣田弘毅)の生涯。 広田弘毅。今の歴史教育では彼をどんな風に教えているのかは分かりませんが、少なくとも私が中高生だった頃は、ほとんど教えられていなかったように思います。私がこの人を知ったのは、映画『東京裁判』(小林正樹監督)を観てからでした。4時間を優に超え、ほぼ全編にわたって記録フィルムを中心に構成されたドキュメンタリー作品。東条英機をはじめ28人のA級戦犯(実際は未起訴組を含めるとA級戦犯はもっとたくさんいます)と、昭和の歴史の流れが実に良く把握出来て、歴史の教科書の何倍もの情報を得ることが出来たのですが、なかでも印象に残った人物の一人が広田弘毅でした。東京裁判の結果、A級戦犯は東条英機を含め7名が絞首刑になります。うち6名が軍人(それも陸軍)で、あと1名が文官だった広田弘毅。軍人でない彼はなぜ絞首刑になってしまったのか?死刑を支持した判事は11名中6名。わずか一票差の判決だったといいます。以前彼について書かれた本を読みました。 『落日燃ゆ』 城山三郎著 新潮社 なんというバカげた判決か。絞首刑は不当だ。 どんな重い刑罰を考えても、終身刑までではないか。これは、戦後の東京裁判において、アメリカの首席検事を務めたキーナンの言葉。A級戦犯の『罪』を追及してやまない首席検事をしてこう言わしめた広田弘毅とは。福岡の石屋のせがれだった広田は、誠実な外交官として知られていました。『蟹工船』の舞台にもなった北方海域の問題をソ連側と粘り強く交渉し、当時頻繁に起こっていたソ連側による日本漁船の臨検・拿捕の問題を解決に導く。昭和10年の議会では、『少なくとも私が今日の信念をもって申せば、私の在任中に戦争は断じてないことを確信しているものである。』と断言して皆をあっと言わせ、中国の蒋介石からも『広田外相の演説に誠意を認め、十分にこれを了解する』と評価される協和外交の推進者でした。また、昭和天皇を激怒させ、帝都を震撼させた2.26事件後に首相になるや、軍人によるクーデター防止に向けて軍の粛清をすすめ、平民宰相よろしく 『庶政刷新』に取り組む。しかし、『軍部大臣現役武官制』を復活させたことが仇になり、結局軍部の政治介入を許してしまう。『外交問題とは、実は内政問題である』という通り、彼の平和への努力は 内部から足を引っ張られてしまった。その後日本は軍部に引きずられる形で次々と首相が変わり、ついに東条首相の時に太平洋戦争に突入。大日本帝国は崩壊への道を突き進む。彼は生涯『自ら計らわぬ』を信条にしていたらしい。戦後の東京裁判においても彼は『自ら計らわぬ』で臨み、一切の証言、弁解を拒否。彼は戦争突入に至る経緯の責任を進んで負うべく、自分に有利なことは何一つ行動しようとしませんでした。結果、東京裁判において、日本をナチスドイツと同一視していた検察側から、広田は日本の侵略の悪の元凶のごとくに見られてしまう。彼の平和への努力を握りつぶしていった軍人被告らと一緒に処刑されてしまったのは運命の皮肉でしょうか。『自ら計らわぬ』。本書では肯定的に述べられていましたが、もしも東京裁判で彼がしっかりと発言していたら、と思うと残念でなりません。裁判前に服毒自殺を遂げた近衛文麿元首相同様、『死人に口なし』の感があります。広田を中心に昭和の前半史を描いたこの『落日燃ゆ』は3月15日にドラマとして放送されます。 ドラマ『落日燃ゆ』 公式HP広田の7つ年下の妻は静子といいました。彼は妻に宛てた手紙には、必ず『最愛の妻 静子』と書いたそうです。その夫婦愛は子どもたちも羨むほどであったそうです。広田がA級戦犯として獄中の日々を送っていたある日。静子は子どもたちにこう言います。パパを楽にしてあげる方法がある。そう言って自ら命を絶ったのでした。広田に思い残すことがないよう配慮したのでしょう。それを獄中で聞いた広田は、無言で頷いたということです。ドラマはそんな広田の夫婦愛を中心に描かれるのでしょうが、街に失業者が溢れ、殺人が横行し、国のトップがコロコロ変わる、ある意味当時に似た状況にある現代にも通じる何かを訴える内容になってくれればと思います。ちなみに現在ある文化勲章は広田が首相の時に提唱された制度なのだそうです。石屋のせがれだった広田は、軍人や政治家、役人ら『名門』ばかりが勲章を貰い、それが人間の尺度になっているのに批判的だったようです。庶民にもチャンスを。広田は刑場の露と消えましたが、その理念の一端は今でも息づいています。少なくとも彼は、カネに汚い政治屋ではなかった人物だったのではないでしょうか。 *画像は東京裁判において絞首刑を宣告された瞬間の広田弘毅