庭に今クチナシの実がなっています。この実は栗きんとんの色づけなどに使いますが、熟しても実が裂開しないことから口無しと名づけられたそうです。クチナシは7月ころに白い花が咲きます。またオオスカシバという蜂に似た蛾の幼虫が食草としています。この実を見てあるものを思い出しました。
家には碁盤が3面あります。厚みは右ほど厚くなりますが、値段は左の方が高くなります。一番左は栢(かや)の3寸盤、真中は桂の4寸盤、一番右は新栢の5寸盤です。左の栢の3寸盤は私が中学2年の時に碁を覚えてから愛用していたもので、目も一度擦り切れて、名古屋のウロコ屋で目盛りしなおしてもらいました。真中は女房の家に伝わっていたもの、一番右は私が骨董屋にだまされて買ったまがい物です。
この碁盤は、明治28年生まれの私の父から婿入り道具としてもらってきたものです。父より手ほどきを受けて、ルールを覚えると4子以上は置かしてもらえませんでした。星目(9子)置いても負けるのですが、沢山置くと、上手は無理な手、強引な手を打つからその悪い形を覚えるといけないからと4子以上置かしてくれなかったのです。もちろん負け続けました。2年ほど負け続け、初めて勝ったときの嬉しさは格別でした。最後はその父に2子置かせるくらいになりました。
ひっくり返してみると、みんな同じような格好をしています。この足がクチナシの実を形どってあるのです。碁を打っているとき、周りで見ているギャラリーは対局者より冷静でよく手が見えるものです。岡目八目といいます。しかし、打っている対局者にとっては周りからの口出しはとても気になり、邪魔になります。プロはもちろんですが、アマチュアの対局でもギャラリーは黙ってみるのが、マナーです。口無しの実が使ってあるのは、周りのものは口を出すなという意味なのです。それを破ったものは首を切り落として碁盤を逆さまにしてその上に置く。すると真中の窪みが流れる血を受けると言われます。(本当は打った石の響きが良くなるように削ってあるということですが)
最近は滅多に碁も打たなくなりました。インターネットで世界中の人と対局できる時代になりましたが、ひまがありません。でもやはりモニター画面で打つよりは、碁盤に向かって静かに打ちたいですね。
父は明治28年生まれ、今生きていれば112歳、93歳で亡くなりました。完全に一世代くらいずれていますね。物心ついたときには、第一線を引退しており、お祖父さんという感じでした。父から受け継いだものは、この碁盤と碁好きであるということ。
子供たち4人にも囲碁を教えようとしましたが、失敗しました。教え方が厳しすぎたのです。褒めて育てるという教育の基本をそのころまだ知りませんでした。え~い、お前たち勝手に好きなことをやるがいいと諦めました。
昔、勝負の世界に生きるプロ棋士に憧れて、プロ棋士になろうかと考えたこともありました。その当時は碁を打つと、全部覚えていて、夜並べなおして反省をし、棋譜をとったりしていましたが、今はその棋譜もほとんど散逸してしまいました。本になって残っているものが少しありますので、紹介しましょう。
昔、昭和51年から年1回日本棋院の中部総本部で全国のアマチュアの強豪が集まって80人づつ東西に分かれて、天下分け目の東西対抗戦が行われていました。これは第7回大会のときの棋譜です。合計で9回出させていただき、5勝4敗という成績でした。それが、アマの碁という本になって残っています。私の青春の足跡のひとつです。