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どもども。
開始からもうすぐ一ヶ月。 なんとか保っている自分を褒めつつ、今宵も房総里見氏を夢酔流の私見を交えながら、一緒に勉強していきましょう! ◆ ◆ ◆ 前回、鶴谷八幡宮から広がった三部作。 今宵は第一弾、「鶴谷八幡宮と那古寺」をお送りします。 鶴谷八幡宮。里見氏代々の帰依が厚い社殿です。 鶴谷八幡宮は平安時代の初期、国府近くの三芳村府中(現在の南房総市)に安房国総社として創建されました。これが鎌倉時代に入ると、総社信仰が衰微し、代わって源氏の影響で八幡神信仰が高まったことが影響し、総社から八幡宮と改変されたようです。と同時に、社殿の位置も現在地へ移された模様です。 この八幡信仰とは、いわば清和源氏をはじめ全国の武士から武運の神「弓矢八幡」として崇敬を集めたのがきっかけ。源氏の大将・源義家も自らを「八幡太郎」と称するほどの武の神様なのです。 康応2年(1390)の資料には、ここは安西八幡宮の名で呼ばれていたことが伺えます。里見氏が根を張る以前のことですね。 毎年9月14~15日には例大祭があります。皆さん、聞いたことくらいはありますかね。通称「やわたんまち」。千葉県の無形民俗文化財に指定されています。 里見氏の時代に至ると、古河公方及び里見家累代の厚い崇敬をうけました。前回紹介した棟札がその一例。永正五年には里見義通が社殿を再建しました(棟札のとき)。以来、代々里見家当主が社殿を修理奉納しているのです。 社殿の造営については、判っている範囲でいうと、永正5年に里見義通が造営して以来、およそ七回に及んでいるとか。 夢酔は作品中、あえて鶴谷八幡宮の名称を用いています。 しかし、一説によると、そのような名称で呼ばれてはいなかった。鶴ヶ谷とか、八幡社とか。近年では明治6年(1873年)には郷社と称され、創建1000年を迎えた昭和51年(1976)の本殿改修に当たって鶴谷八幡宮と改称したと書かれている資料を、いま読んでいるところです。 名称って、難しい。つらいんですよ、作家って。こういうところから容赦なく責められてしまいます。自覚のなかで、あえて使用しているんですと云えなければ、いきなり御免なさい、です。辛い、辛い。 鶴岡八幡宮を模したのは、形だけではありません。そのシステムも模しております。 別当(べっとう)。 別当とは、律令制において本官を持つ者が他の官司の職務全体を統括・監督する地位に就いた時に補任される地位とされる。なんだか難しそうです。いろいろありますが、八幡宮なだけに、ここでは僧職における別当を指します。紹介しましょう。 東大寺・興福寺・四天王寺などの諸大寺で、寺務を統括する長官に相当する僧職を、別当と称しています。別当の任期4年。確認できるなかで史上最初に別当職が置かれたのは、東大寺でした。伝承上では天平勝宝4年(752)に良弁が東大寺の別当に任じられ、5年後に慈訓が興福寺の別当に任じられたとされています。 時代が進むと、神仏習合というものが日本の宗教文化に生まれてきます。それに基づき神宮寺が設置されようになると、寺務を司るものも別当と称するようになっていきます。熊野別当・箱根別当、鶴岡八幡宮若宮別当がこれに該当します。 ようやく鶴岡八幡宮に辿り着きました。鶴谷八幡宮は、すなわちこれに準じているわけです。 鶴岡八幡宮の若宮別当は後年なってから雪下殿と称するようになります。鎌倉時代、藤原摂関家や源氏将軍の縁者が任じられるケースが多かったようです。室町時代からは、関東を実質支配する鎌倉公方足利氏や、公方を補佐する関東管領上杉氏などの子弟から任じられたのです。のちに里見氏と強く結びついていき小弓公方・足利義明も、当初は別当職でした。これが突如出奔し還俗して、風雲児の存在となっていくのですが、これはまた別の機会に。 里見氏の庇護下における鶴谷八幡宮の別当は、鎌倉に倣い里見氏の子弟より宛てられました。まずこれを管理するのが、補陀洛山那古寺。そこの住持が別当となりました。ここへ送り込まれたのが、里見氏子弟ということになります。 那古寺第21代別当は里見義秀と呼ばれますが、これは里見義通の弟にあたる人物です。伝承によれば、義秀は里見義実の三男といわれます。以前、成義の存在有無を問いましたが、もしいないのであれば、義通の弟ということになります。 前回の棟札にあった別当の名前は熊石丸。 義通の子とも孫ともいわれますが、どちらにせよ里見一族に相違ないというわけです。 現在の那古寺。往事の雰囲気が充分残っております。健脚な方は、山歩きにも最適な場所ですよ。 鶴谷八幡宮については、もう街のなかにありますので、整理整然された境内になっております。日露戦争の碑があったりと、地域に密着している信仰が窺い知れます。 棟札については、館山城趾にある館山市立博物館に展示されてございます。一見の価値がございますので、ぜひ、足を伸ばしてみては? ◆ ◆ ◆ (広告)少しだけ、まだヘルプ 夢酔の小説をベースとした劇団き楽座「萩原タケ物語」。3月に一件、依頼公演がほぼ決まったようで、これは大変有難いお話しです。小説家ではなく、舞台脚本家としての夢酔も、戸惑いつつ、万人受けしたことを安堵しております。 劇団き楽座では、今後の別演目を控えていることから、「萩原タケ物語」チームを確立するため、劇団員を募集しているとのこと。市民劇団ならではの気負いなき「き楽」を売りにしております。 興味のある方は、まず、ご一報ください。 殆ど主婦ばかりですが、老若男女は一切不問! 気楽な活動したい方、お声をください。 ☆ 劇団き楽座主催者 TEL&FAX:042-559-0470 それから。 萩原タケをもっと知りたい方。夢酔の話でよろしければ、講演、承ります。どしどしお声を掛けてください。早くもお声を頂けた団体さんの情報は、近くなりましたら公表もしくはご報告させて頂きます。 舞台のセット商品でも、ピンでも、どちらでも可です。こちらの連絡先も、劇団き楽座まで! 最近、思い出されたかのように、大人買いする方がいます。すばらしい!終わった小説がいつまでも尾を引いていく。これが、作品というものの重さなのかなと、近頃、夢酔は今更のように考えております。 にほんブログ村 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
2011.01.28 06:37:05
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