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どもども。
テレ東の番組では、さっそく「早春の房総」とか旅番組やってますね。この時期になると、夢酔も房州行きたくなるぜ、こんちくしょう。 今宵も房総里見氏を夢酔流の私見を交えながら、一緒に勉強していきましょう! ◆ ◆ ◆ 里見義豊から政務を横領していたという不徳な云われようをされている人物、それが〈里見実堯〉です。 彼はホントに、甥から家督をちょろまかすような、悪人なんでしょうか?彼の立ち位置ひとつで、歴史の根底が引っ繰り返ってしまいます。善とか悪とか二次元論で一括りにできない背景はないものでしょうか。 今回は、里見実堯について論じてみましょう。 【まずは定説像】 里見実堯。 文明16年(1484)生まれ~天文2年(1533)7月27日没。左衛門佐と称する。 系譜上によると2代里見成義の次男で、兄である義通の死後に家督を継いだとも甥・義豊の陣代(後見人)になったとも伝えられてきた。しかし、近年の研究では2代成義の存在が否定されつつある。よって、兄・義通とともに安房里見氏初代・義実の子であったと推定されている。 里見実堯は兄・義通の命令により、上総国へ進出して正木氏のはじめとする房総半島の水軍を手中に収めた。実質的な軍事を司っていたものと推察される。義豊の代になると、その命により鎌倉や武蔵品川を攻撃して、後北条氏とも戦っている。 義通が若くして死亡したため、幼少の義豊に代わり 「義豊成人までの間だけ」 という条件で実堯が家督を預かっていた。しかし、家中における発言力を増して義豊の地位を脅かす存在となった実堯。義豊は叔父を倒すことを決意。 天文2年、義豊は実堯とその腹心・正木通綱を稲村城に呼ぶ寄せて、暗殺を図った。これを稲村の変もしくは(天文の内訌)という。 これは、あくまでも義豊に正当性を持たせる伝承ですね。たぶん。 非はすべて里見実堯にあるような筋書きですが、じゃあ、実堯の治世によって領民は疲弊したのでしょうか。いわゆる悪代官や暴君のような印象に取られがちな里見実堯の立ち位置ですが、記録のなかに民衆の不平の空気や搾取のような気配は感じられません。むしろ善政だったのかも知れません。そして、合戦巧者だったのでしょう。 定説に記した〈鎌倉や武蔵品川を攻撃〉という事実。ここは小田原を支配して国盗りと始めた伊勢宗瑞(北条早雲)の後継者・北条氏綱の支配領域。しかも鎌倉は関東の権威が未だ生きている場所。ここを支配し寺社仏閣を保護するということは、事実上の関東の守護者を意味します。北条氏はそれを確立しようとしていた、まさにその矢先、里見実堯が海を越えて鎌倉を攻撃したのです。 ここで読めるのは、水軍を掌握し練度を高める力を、里見実堯が持っていたということです。練度のなかには、神も仏も戦場では斬り捨てていく統率力も含まれています。織田信長が比叡山を焼討ちする以前に、里見実堯は鎌倉の寺社仏閣をも焼討ちしたのです。 鶴岡八幡宮は源氏及び鎌倉の守護神。当然、里見氏歴代当主にとっても崇敬の対象でした。それを焼討ちするということは、我々が信長に印象付けられているビビットなものと同じ想いを、当時の武将たちは里見に傾けたに違いありません。 後年、氏綱は積極的に鶴岡八幡宮の再建を推進します。元来権限は鎌倉府のものですが、それを北条氏が執行したのです。このとき木材供給を関東一帯に布告されますが、それに服すことは北条に従うことを意味するため、実堯存命中、里見氏は拒絶しています。 里見実堯の暗殺されたときの大義名分中に、後北条氏と通じているとの風評がありました。これは鎌倉攻めの一件からみても、後付けの強引な理由と理解できることでしょう。 こうしてみると、里見実堯の存在は定説でみるほどの悪党とも思えないのです。 そして、近年の研究で、崩された定説部分があります。 1.義通は長命を保ち、成人した義豊に家督を譲り隠居していた 2.義豊成人まで実堯が家督を預かる理由がない 3.物的資料として義通死亡前の義豊発給文書が存在する 4.鎌倉禅興寺明月院の玉隠英與より義豊は「房州賢使君源義豊公」と称されている 5.玉隠英與の称する物的根拠は『玉隠和尚語録』に記されている 里見実堯は、どうして殺されなければならなかったのでしょう。 理由を考察すると、どうしても要因がひとつにしか結びつきません。 当主より優れた参謀(家臣)は疎まれる。 太田道灌が主君・扇谷上杉定正から暗殺されたのは、文明18年(1486)7月26日。ほぼ50年近く前の出来事だから、事件としては関東にまだ新しいものです。 これは夢酔の仮説に過ぎませんが、義豊も邪魔な叔父・実堯を廃して自己の存在をアピールしようとしていたなら、如何でしょう?軍事も民事も長けていた実堯がいる限り、永遠に義豊は霞んだ存在です。 この自己主張は、インテリゆえのものでしょう。 教養は高いが、机上論ゆえのもの。机上論で組み立てた理屈に自信を持つからプライドも高い。ゆえに我慢の限界を超えたときの暴走は、やばい。古今東西、革命はインテリの思い込みが発端というケースが多いからです。 えっ?インテリと決めつけるな?そうですね、それでは云い方を改めましょう。〈教養の高すぎる人〉とでも云いましょうか。現代社会では〈アスペルガー症候群〉というものがございます。一部機能がずば抜けて高い、社会性・興味・コミュニケーションについて特異性が認められる広汎性発達障害のことです。あくまで仮定ですが、義豊がこれだとしたら、どうでしょう。 これがために、里見実堯が暗殺されたとしたら。 大義名分に則り行われた天誅には、大衆が従います。 義豊のそれは、結果的に里見家の内紛を招きました。里見実堯の子・義堯が、父の仇を討つために決起します。正木通綱の子・時茂もこれに従います。多くの家臣がこれに賛同します。こういう流れになったことは、定説が矛盾していることを意味しているように見受けられるのです。 ここの部分は、仮説です。 夢酔版の仮説。 皆さまにもきっと持論自説や義豊弁護論がきっとあることでしょう。夢酔とて浅学、どうぞ教えてください。ここでも、mixiの「NHK大河で里見氏を!」コミュでも結構ですよ。実堯暗殺に至る仮定は、人それぞれと思っています。 ※アスペルガー症候群はきちんとした病気の一種。差別対象ではありません! ◆ ◆ ◆ ここでお知らせ! 館山市で江戸時代の伝奇小説「南総里見八犬伝」にちなんだ創作和菓子「たてやま八犬伝まんじゅう」が開発され、10日から市内の旅館やホテルなどで発売されています! もう食べましたか? 八犬士の霊玉「仁・義・礼・智・忠・信・孝・悌」に合わせ、1箱で8個それぞれ異なる味が楽しめるように工夫されているそうです。 ◆ ◆ ◆ (広告)少しだけ、まだヘルプ 夢酔の小説をベースとした劇団き楽座「萩原タケ物語」。3月に一件、依頼公演がほぼ決まったようで、これは大変有難いお話しです。小説家ではなく、舞台脚本家としての夢酔も、戸惑いつつ、万人受けしたことを安堵しております。 劇団き楽座では、今後の別演目を控えていることから、「萩原タケ物語」チームを確立するため、劇団員を募集しているとのこと。市民劇団ならではの気負いなき「き楽」を売りにしております。 興味のある方は、まず、ご一報ください。 殆ど主婦ばかりですが、老若男女は一切不問! 気楽な活動したい方、お声をください。 ☆ 劇団き楽座主催者 TEL&FAX:042-559-0470 それから。 萩原タケをもっと知りたい方。夢酔の話でよろしければ、講演、承ります。どしどしお声を掛けてください。早くもお声を頂けた団体さんの情報は、近くなりましたら公表もしくはご報告させて頂きます。 舞台のセット商品でも、ピンでも、どちらでも可です。こちらの連絡先も、劇団き楽座まで! 最近、法事の際に話題になったという理由で、一括で小説を購入される方がいます。ありがたいことです、感謝!終わった小説がいつまでも尾を引いていく。これが、作品というものの重さなのかなと、近頃、夢酔は今更のように考えております。 にほんブログ村 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
2011.02.12 13:06:23
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