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里見の歴史は前期後期となります。地に足のついた後期の歴史を、一緒に追いかけてみましょう。
いざ、出陣。 安房と上総の国境 夢酔の千葉行きに重宝する交通機関が、東京湾フェリー。いいですよ、今の季節の船の旅って。久里浜から出航して約1時間、よく晴れた日は房総半島の稜線が濃く映えるんです。 東京湾、かつての江戸湾。 当時の北条水軍や里見水軍は、おおよそこの航路を渡って、敵地を攻めたとされます。現代日本では物騒なことも云えないので、まずは弓矢をビールに持ち替えて、いざ出陣なり。 フェリー出航して、すぐ左手を見ると、公園が望めます。ペリー公園という名前ですが、幕末の香りが漂っています。でも、すぐ戦国脳に切り替えてください。あらためまして、いざ、出陣! このフェリー乗り場付近の重要な北条氏拠点はふたつあります。ひとつは三浦半島の先端・三崎城、もうひとつは浦賀城です。浦賀城は15世紀末から16世紀初頭にかけて築造され、一説では三浦道寸(義同)によるものと云われます。三浦氏が北条早雲に滅ぼされると、浦賀城は必然的に小田原北条氏支配となったのです。この城に附けられた北条水軍は〈浦賀城海賊衆〉と呼ばれ、玉縄城支配とされました。 弘治2(1556)年10月、里見義堯の嫡男・義弘を総大将とする里見水軍80艘が江戸湾を渡り、城ヶ島に上陸した事件がありました。このとき北条軍は三崎城の清水上野介・梶原備前守・出口五郎左衛門尉、援軍の金子兵部少輔・富永三郎左衛門・遠山丹波守らで迎撃、激しい海戦となったのです。この合戦で、一時は里見氏が三崎城・新井城を占拠、三浦四十郷を領有したと伝えられます。恐らく浦賀城の山角紀伊守や浦賀城海賊衆も、これに参戦しただろうことは想像に易いと存じます。 この合戦は、「春の國」でも重要な場面です。この戦いのなか、里見義弘は青岳尼を鎌倉より奪い、自身の正室に迎え入れるのです。 江戸湾防衛の最前線。 久里浜には、そんな刻の香りが漂っています。 みるみると三浦半島は遠ざかり、火力発電所の煙突が全容を傍観できる頃、前方の房総半島は大きく腕を拡げるが如く接近してきます。右手の湾口には岡本城前の大房岬、左手には彼方に東京湾アクアラインや東京湾観音のシルエットが小さく映ります。民家の屋根が眩しく視認できる頃、金谷港がはっきりと見えて参ります。 その背後にケーブルカーのある急峻。鋸山と古刹日本寺です。 東京湾フェリー房総半島の玄関口は、金谷港です。 当然、周辺にも里見の重要拠点がございます。やや内湾の造海城・ずばり金谷城・やや外湾の勝山城です。 造海城はもともと真里谷初代当主・真里谷武田信興が里見氏の北上を防ぐ目的で築城したとされますが、時期などは不明です。この城には風雅な伝承がございます。天文6年(1537)、跡目を廻り真里谷武田氏に内乱が生じました。嫡子・信応は小弓公方足利義明を頼り、庶子(長男)・信隆は北条氏を頼り造海城に立て籠もったのです。このとき寄せ手の一人である里見義堯らに対し、真里谷信隆が叫びます。 「この場の風景を百首、和歌に詠んだら開城する」 これに対し、寄せ手はあっという間に百首を詠んだので、真里谷信隆は開城して三浦半島へと落ちのびたとされるのです。実際、こんな風流があるとは考え難いのですが、これをして〈百首城〉という別名がここにあるのです。 勝山城は『里見軍記』『里見代々記』等の軍記物から、安西式部大輔勝峰の城とされます。里見氏の配下となり、やがて城も内房正木氏の海上軍事拠点になっていきます。 そして、金谷城。 鋸山の膝元にあったとされますが、現在は廃城で痕跡も見えず。たぶん、港湾機能の優秀さから、現在のフェリー乗り場となったのでしょうね。現代人は騎馬に代わり自動車やオートバイを船に積んで、三浦半島を目指すのです。 この金谷のランドマークである鋸山、かつては、安房国と上総国の境国の標でもありました。 正式な名称は乾坤山。古くから有名な名勝として知られます。 フェリーの歴史的楽しみ方のエッセンスが凝縮され、なんだか頬が緩んでくるサイトがありますので、紹介しますね。 ◎ 里見水軍の道を往く http://www.asahi-net.or.jp/~ju8t-hnm/Shiro/Tokubetsuhen/Satomi/index.htm ◆ ◆ ◆ 戦国武将里見氏のNHK大河ドラマ放映を目指す「里見氏大河ドラマ実行委員会」が組織されています。里見氏終焉の地である鳥取県倉吉市、里見氏発祥の地の群馬県高崎市、そして館山市で、NHK側にドラマ化を働きかける運動を行っております。 「2014年に里見氏の物語をNHK大河ドラマで!」 皆さまの温かいご声援をお願いします。 ◆ ◆ ◆ ランキング、一時期は一位を頂戴しましたが、毎日更新で結構しんどいと実感しました。焦らず急がず、地道に更新したいと考えております。基本的には、週1~2回の姿勢を取っていきたいと思いますので、皆さまご容赦ください。 いや、さぼり癖ではなく、里見関連新作の、いよいよクライマックス考察中です!労力をそちらに回したいと存じます。御免なさい。 ささやかながらここで告知。 西多摩新聞社より発売の「聖女の道標」、ほぼ売り尽くされてはいるのですが、在庫がややございます。そこで、3月期以降完売までの売上げを、被災地義援金に寄付しようと決めました。 本当は3月半ばに決めたのですが、広告がなかなか紙面で組めず、ズルズル周知されないのも厭なので、mixiともども、この場で告知させていただきます。 どうか、ご協力お願いします。 問い合わせは西多摩新聞社出版センター(0120・61・3738)へ。また、下記のアドレスをコピーして、内容確認をお願いします。 http://www.nishitama-shinbun.co.jp/book/index.html 被災された皆さまが、一日も早い笑顔を取り戻されることを、心よりお祈り申し上げます。 にほんブログ村 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
2011.04.18 06:26:42
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