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八犬伝じゃない里見の歴史、みんなはどこまで知ってるかな?
さあ、一緒に追いかけてみましょう。 時は戦国ただなかへ、いざ、出陣。 織田信長の季節 里見氏と織田信長の直接的接点は、様々な史書から見つけることは出来ません。だからといって、織田信長との接点がなかったと、果たして断言できるでしょうか。 天正10年の前、関東の主な反北条勢力は、織田信長と文書を取り交わしています。東国でも、織田信長という人物が尋常ならざる存在であることは認識されています。そして、当時、定説上で織田信長と拮抗対峙していたのは、石山本願寺・毛利輝元・長曾我部元親・上杉景勝そして武田勝頼です。それらに対し、信長は方面軍を編成し、徹底抗戦していました。そして石山本願寺が信長に屈すると、多くの大名は形だけの和睦を繕い始めます。北条氏政などは従属に近い卑屈さで信長に同盟を求めたほどでした。 こういう事態にあって、信長が本気で攻撃する先は、中国の毛利か、甲斐の武田か、二者択一となります。 もし、武田と直接戦闘状態になったら、関東はどうなるか。 信長に同盟を求める最後の機会が、この甲州征伐だったのです。仮に甲斐を滅ぼせば、信長の勢力は関東に進出します。この時点で和睦は通じません。 武田と同盟関係にありながら、佐竹義重はいち早く信長とのパイプもつなぎます。恐らく里見にも、その誘いはあったかも知れません。 しかし、文書類からそれを伺うことは困難です。 ここからは、想像でしかありえません。 こういう妄想めいた想像がすぐに生まれる。小説家の脳は、実に都合がいいものです。 天正10年以前、里見氏は外交上の使者を安土に送っていたのではないでしょうか。当時、日本のどこにもない都市として、安土は注目されていました。それは、西洋の文化や物品が、いたるところに存在していたからです。 海の国である安房を総べる里見氏が、西洋との交易を考えなかったとしたら、嘘になるでしょう。 西洋からは鉄砲や弾薬といった、大量の武器を輸入することができます。他国を経由することなく、直接交易することができたら、こんなに都合のよいことはありません。そのきっかけを求めて、安土に人を派遣することも考えられます。 そのためには正式な外交という筋も通している筈です。無断で城下を徘徊し商談などしていたら、たちまち目をつけられることでしょう。 自ら災いを招く愚かな真似を、時の当主・里見義頼が冒すとは考えられません。 やがて、実際に甲州征伐がはじまり、僅か三ヶ月で武田氏は滅びます。 この帰途、信長の行程や道中エピソードを『信長公記』から知ることが出来ます。この行程の途中、里見家からの挨拶の使者が来たとしても、不思議ではありません。 信長が甲斐から駿河経由でゆるゆると帰還するのは、関東からの挨拶に応じる猶予だったのではないでしょうか。駿河以降、信長の足は急速に早くなっていると気がつきます。 信長は関東を任せる家臣・滝川一益を厩橋に留めます。滝川一益は茶会の席を設けるなど、関東武士の篭絡に心を配ります。里見義頼もその招きで上州へ誘われる文書があります。 被対天徳寺両通拝見仕候、 尤珍重満足之至候、 今度 上樣 殿樣・三成御出馬、 初武田四郎其外一族衆被討捕候、 然間東国為警固被仰付、 至箕輪在城仕候、 就其 御父子樣へ自今以後御入魂之儀、 蒙仰候、何樣共馳走不可存疎略候、 猶委細之段天徳寺可有御演説候條、閣筆候、恐惶謹言、 四月十六日 瀧川左近 一益(花押) 佐貫御城 貴館 この茶会の最中、本能寺の変が起きました。 織田信長が関東に残した光芒は、ほんの一瞬です。 その一瞬に、関東武士が振り回され、右往左往したことも事実です。そのなかに、紛れもなく、里見氏がいたことは間違いありません。 本能寺の変を里見義頼が知ったのは、かなり早かったようです。 ここに義頼が太田三楽斎父子に発した文書を紹介します。 (前欠カ) 徳川家康注進之由、随而自相府如被申越者、 於京都信長御父子生涯之由候、 依之氏直早速出陣候間、当方も加勢所望候、 一上口之様子并信・甲・駿之儀如何被聞召候哉、 一越国之模様是又承度候、 一義重以切紙申通候、自其御届頼入候、 如兼約此度以使雖可申述候、 其筋之様子難測候条、遅退非疎折候、恐々謹言、 六月五日 義頼(花押) 梶 三 発した日付は、本能寺の変の三日後です。〈梶〉とは梶原政景(三楽斎次男)、〈三〉は太田三楽斎を意味します。隠語でしょうか。 迅速な情報収集力が、このとき里見家に備わっていたことを物語っています。 10月1・2日は南総里見まつりです。 夢酔もぜひ、今年は伺いたいと考えております。皆さんとお会いできたら、いいですね。 このお祭りは、恥ずかしながら一度も足を運んだことがございません。 ゆえに、心より楽しみにしております。 ◆ ◆ ◆ 戦国武将里見氏のNHK大河ドラマ放映を目指す「里見氏大河ドラマ実行委員会」が組織されています。里見氏終焉の地である鳥取県倉吉市、里見氏発祥の地の群馬県高崎市、そして館山市で、NHK側にドラマ化を働きかける運動を行っております。 「2014年に里見氏の物語をNHK大河ドラマで!」 皆さまの温かいご声援をお願いします。 にほんブログ村 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
2011.08.14 08:34:45
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