142089 ランダム
 HOME | DIARY | PROFILE 【フォローする】 【ログイン】

散文小径

散文小径

【毎日開催】
15記事にいいね!で1ポイント
10秒滞在
いいね! --/--
おめでとうございます!
ミッションを達成しました。
※「ポイントを獲得する」ボタンを押すと広告が表示されます。
x
2011.09.19
XML
カテゴリ:カテゴリ未分類
 八犬伝じゃない里見の歴史、みんなはどこまで知ってるかな?
 さあ、一緒に追いかけてみましょう。
 時は戦国ただなかへ、いざ、出陣。


 羽柴秀吉の姓


 
 里見義頼から義康へ代替わりの頃。
 織田信長亡き後の天下の覇権を争ったのは、二大勢力でした。駿河・三河・遠江・甲斐・信濃の一部を有する徳川家康。そして中国畿内に勢力を持つ羽柴秀吉。この両者が激突した唯一の合戦を、小牧長久手の戦いといい、結果的に、天下を制したのは秀吉でした。
 こののち関白を就任し新たな摂関家となった秀吉。姓を〈豊臣〉と改めます。
 そもそも秀吉には、生まれ持っての武門の姓がありません。
 名字を持たない最下層の貧民、あるいは針売り商人、漂流民の山窩(広義的な傀儡子)の出身とするさまざまな説が多い父・木下弥右衛門の姓を受け継いだとか、講談のように木の下で信長に貰ったとか、曖昧な点がありますが、何につけ最初に名乗るのは木下姓です。
 立身するにつけ、秀吉もまた、武将らしい姓に改めました。
 信長を知るための有力史料である『信長公記』曰く、元亀3年7月24日条に近江一向一揆掃討の指揮官として「木下藤吉郎」の名が記されています。同年8月条では虎御前山に建設された砦の定番として「羽柴藤吉郎」の名が登場します。改姓はこの頃のことでしょう。
 この羽柴姓の由来は、織田家の重臣である丹羽長秀と柴田勝家にあやかったもの。すなわち丹羽の「羽」と柴田の「柴」を1字ずつもらってつけたというのが定説です。が、これについては、確たる典拠はございません。

 この羽柴姓。
 天下人となったのちは、天下支配の有力アイテムとなっていきます。近親の姓としてのみならず、近臣という情のもと、大名支配のために姓を与えていくのです。
 ただし、豊臣姓は、限られた者のみですのであしからず。
 このスタイルは、のちの徳川・松平の場合にもあてはまります。

 里見の話をするのに、秀吉のことばかりで恐縮です。
 然るに、秀吉から羽柴姓を与えられることは、大名の格が上がったと思っていいでしょう。秀吉に覚えても貰えない大名には、この栄誉は降って参りません。里見義康は、ちゃんと、羽柴姓を頂いております。

 羽柴姓を許された大名は、他に誰がいたか、ちょいと列記してみましょう。



● 羽柴姓を使用した武将

天正15年(1587)4月9日・九州出陣の際の陣立書(『松下文書』)より
 堀秀政(羽柴左衛門督)
 毛利秀頼(羽柴河内守)
 丹羽長重(羽柴加賀侍従、のち羽柴松任侍従)
 蒲生氏郷(羽柴松島侍従)
 佐々成政(羽柴陸奥侍従)
 蜂屋頼隆(羽柴敦賀侍従)

天正20年(1592)2月21日・文禄役の際の陣立書(『毛利家文書』)より
 宗義智(羽柴対馬侍従)
 大友義統(羽柴豊後侍従)
 島津義弘(羽柴薩摩侍従)
 毛利秀包(羽柴久留米侍従)

文禄4年(1595)7月20日・秀次誅殺後に秀頼への忠誠を誓わせた起請文(『毛利家文書』))より
 小早川隆景(羽柴筑前宰相)
 毛利輝元(羽柴安芸中納言)
 徳川家康(羽柴武蔵大納言)
 前田利家(羽柴加賀中納言)
 宇喜多秀家(羽柴備前宰相)
 長谷川秀一(羽柴東郷侍従)
 京極高知(羽柴伊奈侍従)
 前田利政(羽柴能登侍従)
 最上義光(羽柴出羽侍従)
 長宗我部元親(羽柴土佐侍従)
 島津家久(羽柴薩摩侍従)
 立花宗茂(羽柴左近侍従、のち羽柴柳河侍従)
 森忠政(羽柴金山侍従)
 筒井定次(羽柴伊賀侍従)
 稲葉貞通(羽柴郡上侍従)
 堀秀治(羽柴北庄侍従)
 池田輝政(羽柴吉田侍従)
 京極高次(羽柴京極侍従)
 木下勝俊(羽柴若狭侍従)
 佐竹義宣(羽柴常陸侍従)
 結城秀康(羽柴結城少将)
 前田利長(羽柴越中少将)
 細川忠興(羽柴丹後少将)
 毛利秀元(羽柴安芸宰相)
 織田秀信(羽柴岐阜中納言)
 上杉景勝(羽柴越後中納言)
 徳川秀忠(羽柴江戸中納言)
 織田秀雄(羽柴大野宰相)
 里見義康(羽柴安房侍従)



 里見氏は随分と高く扱ってもらっていた証です。



 10月1・2日は南総里見まつりです。
 夢酔もぜひ、今年は伺いたいと考えております。皆さんとお会いできたら、いいですね。
 このお祭りは、恥ずかしながら一度も足を運んだことがございません。
 ゆえに、心より楽しみにしております。


                  ◆  ◆  ◆



 戦国武将里見氏のNHK大河ドラマ放映を目指す「里見氏大河ドラマ実行委員会」が組織されています。里見氏終焉の地である鳥取県倉吉市、里見氏発祥の地の群馬県高崎市、そして館山市で、NHK側にドラマ化を働きかける運動を行っております。
「2014年に里見氏の物語をNHK大河ドラマで!」
 皆さまの温かいご声援をお願いします。


satomi.jpg


人気ブログランキングへ


にほんブログ村 小説ブログ 歴史・時代小説へ
にほんブログ村








お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう

Last updated  2011.09.19 13:31:27
コメント(0) | コメントを書く


PR

Calendar

Profile

夢酔 藤山

夢酔 藤山

Archives

2024.11
2024.10
2024.09
2024.08
2024.07

Favorite Blog

まみのお気楽な一日 まみむしさん

Comments

作楽@ Re:随筆・あっそう!里見発見伝(02/18) 引っ越しされるんですね!了解しました。
としぞう@ はじめまして うちも楽天からアメーバに変わりました。 …
夢酔 藤山@ Re:奥平家と大久保家(02/06) いっちぃさん 仰せの通りです。 この…
いっちぃ@ 奥平家と大久保家 奥平信昌の娘が大久保忠常(忠隣の嫡男)に…
夢酔 藤山@ こんばんは 10月1日の全国里見一族交流会・館山大会に…
キミジイ@ 御支援の協力 夢酔 藤山様 署名活動はどの位の人数が…
いっちぃ@ 万喜城下より ご無沙汰しておりますm(__)m 近年の成果か…
史進@ おめでたいですね こんばんは、藤山先生 稲村城と岡本城が…
夢酔 藤山@ Re:ありがとうございました(10/05) >由愛さん 大役、お疲れ様でした。…
由愛@ ありがとうございました 夢酔藤山さま 館山ではありがとうござい…

Recent Posts

Headline News


© Rakuten Group, Inc.
X