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八犬伝じゃない里見の歴史、みんなはどこまで知ってるかな?
さあ、一緒に追いかけてみましょう。 時は戦国ただなかへ、いざ、出陣。 高野山西門院 里見家と高野山との結びつきは、深いです。 高野山西門院は里見家の宿坊として用いられておりました。現在の高野山西門院、どのような様子か、インタネットで検索してみました。 高野山別格本山西門院 http://www3.ocn.ne.jp/~saimonin/ 表書きにも、里見の記述がありました。 ちょっと抜粋。 「天正年間には、住職の勢雅法印が、関白秀吉の支援をうけ、應其上人と共に、京都の大仏殿や石山の観音堂の造営にあたり、その功績に対し、秀吉のおぼえもめでたかったと伝えられています。 また当院は、里見家由来の寺院で現在の千葉県(上総国・下総国・安房国)ゆかりの宿坊です。以前は上総国の神野寺と安房国の清澄寺が、当院の官領であり多くの文書が残されています。」 里見義康の頃、金銭借用の文書が残されております。 借用申候黄金之事 合而壱枚但其方秤也 右、請取申所実正也、此返弁来秋俵子を以、妙音院ヘ如相渡申 候、皆済可申候者也、仍如件、 (文禄元年) 壬辰 卯月十三日 西門院ヘ これは朝鮮出兵の頃、里見義康は高野山から黄金一枚借財し、この妙音院に米俵で返済するという証文です。 今回、全国里見一族交流会に出席しましたが、文書中に登場する妙音院の御住職と懇意にさせて頂きました。そのご住職によりますと、先の大戦で爆弾が本堂に落ちて破壊炎上したため、現在再建中とのこと。 山門傍らの釣鐘堂も、屋根の付近や梁が一部炭化しています。そのときのものでしょうか。 御住職からお土産に梨を貰いました。 美味しかった~♪ 妙音院は、里見義康菩提寺の慈恩院のお隣です。 高野山には里見忠義の墓所もあります。6月、里見会で命日参詣してきたそうですが、織田信長墓所の付近だそうです。ただ、案内表札がないため、これでは里見のものか誰もわからない。里見会から高野山に陳情したら、世界遺産だから勝手に触れないものか、難色を示されたそうです。 世界遺産をめざすと、制約もついてくるのですね。 なんと、信長の近くの一等地! MAP作成:房総里見会 高野山に行く機会のある方は、西門院や里見家のことも思い出してね。 ◆ ◆ ◆ 戦国武将里見氏のNHK大河ドラマ放映を目指す「里見氏大河ドラマ実行委員会」が組織されています。里見氏終焉の地である鳥取県倉吉市、里見氏発祥の地の群馬県高崎市、そして館山市で、NHK側にドラマ化を働きかける運動を行っております。 「2014年に里見氏の物語をNHK大河ドラマで!」 皆さまの温かいご声援をお願いします。 お問い合せ先は、こちら。 房総里見会事務長 鈴木惠弘 〒294-0027 千葉県館山市西長田72 にほんブログ村 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
2011.10.18 06:21:39
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