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テーマ:鉄道雑談(1511)
カテゴリ:さようなら列車の旅
そこでこのトピックスでも、始発駅・石岡駅から沿線を旅してまいりましたが、我々を乗せた列車も終着駅・鉾田駅へと到着する事になりました。かっての客車列車や、遠足臨時列車「パンダ号」があった頃に使われていた機回り線(機関車の位置を前後変えるための引き込み線)は既に撤去され、1本のレールを2つのホームで挟む、という面白い構造の駅になっています。 鉾田駅に到着すると、たちまち今まで乗ってきたキハ602とキハ714は、カメラの嵐です。 いずれもクラシックな気動車で、日本でも珍しい存在だからです。(今日のトップ画像は鉾田駅でのキハ602号車です) それでは、この「キハ602」という気動車ですが、どのような気動車なのでしょうか? このキハ602号車の前身・キハ42036号車は1937年(昭和12年)3月、鉄道省(戦前は国鉄の事をこう呼んでいました)大宮工場製で、後に42027→42531と改番し、最終的にキハ0732号車となりました。 国鉄での最後の働き場は多治見機関区で、主に中央本線、太多線にて活躍していました。1966年2月3日に国鉄で廃車になった後、10月に関東鉄道キハ42504号車として、鉾田線に配属となりました。最初は半流線型・正面5枚窓の原型のまま使用されていましたが、後に車内をセミクロスシートからロングシートへ改造。(下記の写真の通りです) そして1972年12月に西武建設(西武所沢車両工場)にて正面を切妻化し、総括制御可能車(連結運転の際、運転士一人で運転できるものです。それまでの機械式気動車は、連結運転の場合運転士が各車両に1人ずつ乗り、ブザーの合図でクラッチをロー、セコンド、サードと操作して加速していました)に改造しました。この時に車番を「キハ602」に改番しました。 後に正面の非貫通化、冷房装置の設置(1994年12月)、ワンマン装置の設置などの改造を受けて現在に至っています。ちなみに「キハ601」号車は1936年(昭和11年)10月川崎車輌製のキハ42032号車が前身ですので、「キハ601」号車の方が若干、先輩という事になります。 この“日本での長老気動車”の前で写真を撮る人もかなりの数にのぼりましたが、写真を撮っていた家族連れに向かって、「どけ!写真が撮れねぇだろうが!」と罵声を浴びせていた「心無いおたく」がいました。 先にも書きましたが、最近の鉄道ファン達のモラルが低下しているのは残念ながら事実です。 この鉾田駅でも、後には沢山人が並んでいるのに、一人で定期券から、全駅分の乗車券、入場券と買い占めている「マナーと空気の読めないおたく」もいました。 自分では「売上に貢献した」と悦に入っている事でしょうが、回りの人からしたらいい迷惑行為です。鉄道趣味は一人のものではありません。みんなのものです。それを心掛けて、楽しい鉄道趣味の世界を送りたいものですね。 鉾田駅の改札口では、地元の人達が列車から降りてきた人達に「地元産の野菜」をプレゼントして、新生・鉾田市をアピールしていました。駅舎内では写真展、鉄道模型の運転会、グッズの販売等が行われていました。 ちょっと特徴のある鉾田駅の駅舎は「関東の駅百選」に選ばれた事もあるほどで、中央部には「鉾田驛」と昔の字体の駅名板がかかっていました。 駅内には、増収のために設けられた直営の鯛焼き屋と立ち食いそば屋がありました。鯛焼きはたちまち売り切れ、「次の発売は20分くらい後になりま~す」と、店のおばさんが言っていました。 「署名運動にご協力お願いしま~す」何かの署名運動が行われていました。それは「鹿島鉄道を廃止から休止に切り換えましょう」というものでした。「休止」なら、再開の見込みがあるからです。 この鉾田市は、同じ市内に鹿島臨海鉄道の「大洗鹿島線」が通っていて「新鉾田駅」があるとはいえ、市街地からは少し離れています。そのため、通勤・通学、特に通学にはこの鹿島鉄道が欠かせない存在だったのです。私も早速、希望を思いながら署名して来ました。 そこのおばさんが、うどんを茹でながらこんな事を言っていました。 「毎日これだけ乗ってくれれば、廃止にせんで良かったのにねぇ。」これは1997年に休止(2002年正式廃止)された、“機械式レールバス”でお馴染みだった青森県の南部縦貫鉄道でも聞かれたセリフです。普段から乗っていれば、こんな廃止の日を迎える事はなかったでしょう。茨城県では既に、日立電鉄線が廃止され、勝田~阿字ヶ浦間を結ぶ茨城交通湊線も時間の問題と言われています。 千葉県の銚子電鉄があれだけ盛りあがり、少し盛り返す事が出来たのも、私達ファンの力があったからなのです。 「電車整備のため、ぬれ煎餅を買ってください!」この一言がホームページに出たのをきっかけに、オンラインショップでの通信販売がストップするほど全国から注文があり、また銚子電鉄へ乗りに行く人も少しながら増えたと言います。 ローカル線、ただ乗るだけでは面白くありません。その沿線の何気ない駅に途中下車して街並みを歩く。それだけでも立派な「旅」なのです。新たな発見があるのです。 皆さんも、そんな「小さな旅」に出かけてみませんか? 鹿島鉄道は今日でひとまず、83年の長き歴史に幕を閉じますが、私は「さようなら鹿島鉄道」とは言いません。鉾田駅で行われていたこの署名運動が実り、またいつの日かきっと、この気動車達が走ってくれる事を願っているからです。 mama-gooseさんの執筆された「Last Run/最終列車の後で」(第二版)、絶賛発売中! この2冊の売り上げは、鉾田駅保存車両の復元作業の費用に充てられます。 ふと旅に出かけたくなった・・・・・・。 そんな時は、お出かけする人も、そうでない人も、茨城県各地の観光情報なら、国内旅行情報サイト「日本の旅ドットコム」を是非、ご活用下さい。 尚「楽天広場会員」以外の方で、御意見・御感想・コメントのございます方も、どしどし下さい。お待ち致しております。 最近ブームになっている「油そば」。私もこの間食べました。ここのショップのは美味しいですよ! お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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