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2012.02.18
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カテゴリ:習い事日記
常磐津のセンセのカルチャー講座、今期の3回目。1カ月ぶり。

1回目は受講できたけど、2回目は六郎オジサンを観に行くためにお休みして、その後はセンセが博多座に出演していた関係でずっと日が空いて、ようやく3回目が今日。おかげで今期は日が足りなくなるらしく、最終の3月10日は2コマ続けての授業になる予定…

は、いいんだけども。

前回をお休みしているのでつながりが判らないというか、今日配布された資料からピッタリ始まったことにびっくり。じゃ、前回は予定通り終わったんだ?!へー

今日からのテーマは、ハコ。劇場。歌舞伎の。

江戸の芝居小屋から、明治の演劇改良運動を経て、劇場がいろいろに変ってくるところを、種類別や機能別や位置づけや意味づけの違いなんかで分類してみたりして。

いまや、歌舞伎の劇場には何を観に行くのか、なんて話が出てきたり。

何を観に行くのか…劇か芸か、っていう話は、なるほど。面白かったです。うん。劇か、芸か、そうだなー、どっちだろう。

劇っていうのは、古典劇ってこと。その作品が作られた当時と今とでは価値観も風習も違うけど、それを判った上で当時の文化的な背景を踏まえてドラマを楽しむ。古典劇ってのは、長い時間をかけて磨かれてきたわけだから、いいものだけが残ってきているとも言えるわけで、生き残った名作の名作ならではの味を楽しむってことかな。

芸は、伝統芸能としての歌舞伎の演技法というか、表現手法。そこまでの筋も人物設定もボロボロでドラマツルギーは破綻していたとしても、たとえば最後の切腹のところの、述懐と落ち入りの芸を味わうって感じ。そういえば、お正月に観た矢の根なんか、まさに芸を楽しむ演目だよなぁ…

いや、いかにも劇としての完成度を持っていそうな寺子屋でも、文楽(や素浄瑠璃)と比較すると、たぶん、歌舞伎のスターシステムによって書き換えられた部分が元の劇の要素を破壊してたりするんだろうな…熊谷なんか、そうですもんね。文楽の方が納得感がある。あと、上方の、封印切なんかも。

この話は、これから歌舞伎や文楽を見るたびに思いだしそうな気がするなぁ…

とはいえ、今日一番印象に残ったのはこれじゃなくて、タイトルにあげた、小屋のこと。

そういえば、劇場のことを芝居小屋っていいますけど…いや、そう呼んでいた江戸の昔にしても、今でも、芝居をする場所がいわゆる「小屋」だったことって一度もないですよね。

小屋ってのは、基本的には個室でしょ、いや2,3人が普通かな…そうじゃないにしても、文字通り、小さくて狭い空間を指すはず。芝居小屋以外に思い浮かぶ言葉は、犬小屋とか豚小屋とかのケモノ関係と…講義でセンセが取り上げてたのは歌舞伎や文楽でもよく登場しているヒニン小屋。

日本人の狭い家をウサギ小屋っていうしな。

では、小さくないのになぜ小屋っていうのか。これは、なるほど、センセが取り上げたヒニン小屋と照らし合わせて考えてみるとしっくりくるようで。

人の数に入らない役者が芝居をして見せる場所は、小屋なんですよって、そういう意志表示なのか、そうか、なるほどなぁ…

お能はもちろんだけど、寄席だって、話小屋なんて言わないもんな。

なんだか微妙な話題だけど、改めて聞くと1匹2匹と数えたとか笠をかぶって歩いたっていうエピソードよりもずっとリアルに感じられる気がしましたゎ。実感っていうか。

寄席と言えば、電子書籍で読んだ岡本綺堂のエッセイに「『よせ』とは、もとは夜席と書いた」とかなんとか、出てきました。だから夜の部しかなかったと。娯楽がないだけじゃなくて、交通機関が整備されていない時代に、仕事が終わってから自宅から歩いて出かけられる娯楽ってことだったらしい。昭和の野球のナイターみたいなもん?

それがいろいろ変わって、昼もするようになって、昼席・夜席になった…と、そういわれると、なるほどと思うし、だから基本的に夜がメインだったというのには、今は違うよね?そうは思えないけどな?!って感じたり。うん。





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Last updated  2012.02.18 20:57:19
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