今朝は日曜5時に起床。何時もは熟睡している時間なのに。何気なくテレビをつけました。NHK心の時代...徐 京植 「離散者として生きる」を見ました。 韓国が軍事独裁政権だったころ二人の兄弟を拘束された母、その母を見つめ何も出来なかったもう一人の弟 徐 京植氏(作家・東京経済大学准教授)の話でした。
彼が出あった一冊の本「アウシュビッツは終わらない 」...アウシュビッツに収容され生き残ったイタリア人化学者プリーモ・レーヴィの書。
科学者としての冷徹な眼差しで地獄の光景を切り取り後世に伝えようとしたプリーモ・レーヴィ。息子たちを取り戻せず道半ばで亡くなった母の無念を徐 京植氏は未だ取り戻せぬ祖国とともに離散者として訴え続けているようでした。
彼には忘れられない光景があるという。それは光州事件のとき国家権力に対して傘を手にして抵抗した一人の老婆の姿でした。 私にとって忘れられないのは天安門事件のとき戦車の前に立ちはだかり犠牲となった中国の若者の姿です。丁度事件の直前に中国旅行に行っていた私は北京で多くの若者に出会いました。日本の学生たちより全体に純粋で都会ずれしていませんでした。現地のテレビでその後学生たちと政府要人との対話路線が続き、まさかあんな事件に発展するようには見えませんでした。
あれから20年、当時の若者たちは今中国の第一線で活躍していることでしょう。彼らは今チベットで起きていることをどう認識しているでしょうか?インターネットの普及している現在いくら政府が取り締まろうと事実を封殺することはできないと思います。