カテゴリ:韓国、北朝鮮
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金正恩が幼いころからその寿司を好んだという故金正日総書記の専属料理人・藤本健二氏が、金正恩氏と3時間にわたって会談した。 藤本健二氏は、1947年、秋田県生まれの寿司職人。 1982年に北朝鮮にわたり、1989年から故金正日総書記の専属料理人となった。 1990年に朝鮮労働党員となり、金正恩とその兄、正哲の遊び相手をしていた。 2001年に帰国。 それまでの間「金正日の料理人」を務めたので金正日ファミリーを最も身近に見た日本人。 金正日とそのファミリーの私生活を語ることができる数少ない人物として知られる。 世界で初めて3兄弟の三男である、大阪出身の在日朝鮮人・高英姫の子、金正恩の存在を明かしたこと、金正日総書記の評価を交えながら、正恩を総書記の最も有力な後継者と述べたことで情報の信頼度が高まった。 金正恩の唯一の友人が明かす 「平壌極秘会談」3時間の一部始終 「私は戦争などする気はないのだ」 2016年5月18日 現代ビジネス …(略)… ■金正恩自ら迎えに来た 忘れもしない、4月1日のエイプリルフールの夜10時26分のことです。 箱根のホテルで調理師のアルバイトをしていた私のところに、北京のM氏(在日朝鮮人)から電話が入り、「太陽節(4月15日の金日成〔キムイルソン〕誕生日)に平壌に招待したいから11日までに北京に来てほしい」と言われました。 前回'12年7月に訪朝した時も、M氏からのメッセージで金正恩〔キムジョンウン〕最高司令官(第一書記)の招待を受けたので、私は急いでパスポートを取得して、北京へ飛びました。 そして4月12日午後2時過ぎ、平壌順安空港に降り立ったのです。 …(略)… ■正恩の妹・与正も同席 「今回は急だったもので、みやげも持たず、すみません」 「分かっている。ご苦労。よく帰ってきた」 このような挨拶を交わしながら、最高司令官は前回と同様、力強く私の手を握り、続いて私を抱擁しました。 私は感極まって、涙がこぼれてきました。 日本では「130kgの肥満体」などと揶揄されていますが、抱擁した際に私の両手が彼の腰の後ろで組めましたし、4年前と同様の体型に見えました。 続いて、やはり懐かしい妹の与正〔ヨジョン〕とも握手しました。中央党の制服に、フレアスカート姿でした。 「与正は、党宣伝煽動部の副部長に昇進したんだ」 最高司令官がこう説明してくれたので、 「副部長昇進おめでとうございます」 と言ったら、与正はややはにかんで「ありがとう」と答えました。 日本や韓国では、28歳になった与正は崔竜海〔チェリョンへ〕書記の次男と結婚したとか、出産したとかいう説が流れていますが、まだ独身と聞きました。 …(略)… 私は金正恩最高司令官を前にしながら、「今回私を呼んだ目的は何だろう?」と、ずっと考えていました。 すると、そんな私の心情を察したかのように、最高司令官が私に質問してきました。 「日本では最近、わが国は、どう見られているのか?」 私は一瞬、躊躇しましたが、思い切って正直に答えました。 「最悪です。今年に入ってからも、核実験したりミサイル実験したり……」 「ロケットやミサイルを打ち上げるのは、アメリカのせいだ。 アメリカと交渉を始めると、すぐに無理難題を突きつけてくる。 アメリカとの関係は相変わらず険悪だが、私は戦争などする気はないのだ。 だからどこにも当たらないように(ミサイルを)打ち上げているではないか。 この私の発言は公開して構わないぞ」 …(略)… 米帝や日本に打ち勝とう、外交的優位とするのは、とんでもない考え違いだ。 それとも、平和条約を結んで日本など外国人客を増やすことで外貨を稼ぎ、日本で旨い寿司が食いたいだけなのだろうか。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2021年10月08日 18時26分50秒
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