web営業塾~雑誌広告の売り方~
雑誌の広告営業を担当している人から、「広告の『こ』の字だけで断られてしまう」という声を聞く。「広告出してみませんか?」「うちのは高くないですよ」「色々オプションもありますよ」…と提案すると、即座に、「高い」「考えていない」「必要ない」と言われるらしい。まぁ、そうだろう。そんな営業なら、私も断る。だいたい、クライアントにとっての雑誌は「読むもの」ではない。「使うもの」だ。ましてや、断じて「(広告を)出すもの」などではない。営業においては、述語や目的語を、「お客様」という主語に合わせて正しく翻訳することが大切だ。それくらいの文法なら、中学校くらいで習ったはずである。さらに「高い」と言われるのは、そもそも、投資を補って余りある成果や効用がイメージできないからに他ならない。その「効用」が本当の商品なのであって、広告は単なる媒介手段に過ぎない。だが、契約に困っている広告営業マンは、自分の仕事は「広告契約を取ること」だと言い、自分の商品は「広告枠」だと言う。つまり、売るべきものと売っているものが違うのだ。営業における職業観が根本的にずれているのだ。自分の仕事が何なのか分からないまま、疑似営業をやっているのである。成績が上がらないのは当然だ。本質的な「仕事」は何一つやっていないのだから。こんなのは、莫大な労力と経費と時間を投じて、わざわざ自分から「どうぞ断って下さい」と宣伝して回っているのと同じだ。あぁ…職業観なき社会人の悲劇。彼は勤務先があり、名刺を持っているだけで、「私は働いている」と思っている。どうせ学生時代から、たかが内定ごときで「大丈夫」と勘違いしていたのだろう。本人だけがその錯誤に気付かないのが、せめてもの慰めであり、停滞の原因だ。私は、こんな営業マンに会うと、いつも丸楠の背後霊が見える。広告営業は「広告を売る」のではなく「広告で売る」仕事だ。つまり、本質的な商品は、相手の在庫回転率と営業効率を高め、告知と集客の手間を段階的に減らして、創造された資源をさらに価値ある業務に振り向けること自体にある。だから、営業マンは相手の立場に立ち、長期的視点から、相手の潜在的な経営課題と本当の事業目標を想像しなければならない。この「想像」こそ、営業の準備作業だ。そうして、商品種別や価格構成、客層などを分析し、人員体制や財務状況と照らし合わせると、エアポケットのようにチャンスがあぶり出されてくる。そして、それが広告の費用対効果なのだ。その効用が真の商品なのである。だから、これを提案すれば、「安い」としか言えなくなる。相手と根拠やビジョンを共有せず、自分から一方的に「安い」と連呼するのが、できない営業マンの悲しき習性だ。そもそも、「安い」、「良い」、「必要」などという価値判断は、全て相手がやるべきことだ。営業マンには、そんな言葉を使う資格はない。営業マンに出来るのは、ただ相手の事業、業務、商品をじっくり観察し、資源最適化のアイデアを提案することだけだ。アイデアとは何か。それは「理想と現実をつなぐ手段」だ。だから、営業マンはただ、この理想と現実を相手と共有し、同意を確認すればいいだけだ。それさえできれば、商品はもう、売れている。ちゃんと話を聞けば「売れる」ものを、「売る」という利己的な視点で説明したりするから、毎月の「成果なき長距離行軍」をやらされているのだ。営業や仕事の本質を取り違えた社会人には、こうして平等に「罰ゲーム」が与えられている。まぁ、健康のためにはいいだろう。「毎日残業で運動できない」と心配する必要はない。広告を売ってはいけない。広告で何を売るのか?それが大切だ。まぁ、この程度のことは営業の初歩の初歩に過ぎない。来月からは恒例の「営業塾」を開講するので、興味がある人はぜひ連絡してほしい。「おまえはもう、買っている」という営業を一緒に学ぼう。そして、無駄な時間をリストラし、空いた時間で一緒に歴史と古典の勉強をしよう。さて、来週からそろそろ仲間の募集を開始するか。桃太郎のように。