はまぐり物語
「はまぐり」をご存知だろうか。黒くて大きな淡水性の貝だ。白や縞模様のもいる。(桑名市の漁業組合のHPより)私が小学校時代を過ごしたのは、春日市の白水大池公園付近だ。今は、Q大4年のM君や、西南4年のHさんが住んでいる場所の近くである。ちなみに、去年西南を卒業したHさんは、私と同じ中学校、しかも同じ部活の後輩だ。Hさんが何の種目だったかは、言えない。中村屋の饅頭に誓って。さて、この池には、「とびうめ国体」のサッカー場が建設されるまで、はまぐりがいっぱいいた。夏の終わりには、通学路をごまかしてよく池を通った。夏に釣り人が引っ掛けたルアーと、ゴルフ場から流れて沈んでいたゴルフボールという「お宝」を集めるためだった。お宝を探して池に近付くと、ちょうど水が引きかけた池のほとりに、数メートルの長い筋が見える。筋は何本も見え、池、つまり水に向かって続いている。「何だ?」「誰が引いたんだ?」水辺に行くと、線の先にいたのは、はまぐりだった。あの無数の線は、泥の中にいたはまぐりが、水辺を求めて進み出した時に、はまぐりの尾が描いた軌跡だったのだ。だが、ここで感動する私ではなかった。「目はあるのか?」と、はまぐりを水から引き上げて観察してみた。目らしきものはないようだった。「じゃあ、どうして池の方向が分かるのか?」レーダーでも付いているのか?超音波でも出るのか?色々考えてずっと眺めてみたが、はまぐりはいくら見つめても、ただの黒い貝だった。「おかしい」。私と弟は、せっかく数時間かけて水辺にたどり着いたであろうはまぐりを、水中から引き上げ、池から数メートルの陸地に置いた。しばらくして、はまぐりの白いしっぽが出てきた。そして、すごい遅さだが、また池の方に向かって進み始めた。「なんでや?」私と弟は、そのはまぐりを再び持ち上げ、次は池と逆の方向に向けて置いた。全く、迷惑なガキだった。またしばらく見つめていると、なんと、はまぐりは池とは違う方向に進み出した。「こいつ、やっぱり目がないんだ」。勝ち誇った気分だった。だが、さらにじっと見ていると、はまぐりは緩やかな弧を描いて、またもや池の方に進み始めたのである。信じられなかった。ここで感心して引き揚げれば素直な子供なのだが、私と弟はその謎に惹かれてしまった。そこで、次はなんと、水中に見えた手近なはまぐりを手当たり次第に池から拾い上げて、様々な方向を向けて置いた。翌日の水辺は壮観だった。全てのはまぐりが様々な軌跡を描いて、みな、池に帰っていたのである。最初に拾い上げたはまぐりだけが天才だったのではなく、はまぐりは何らかの力で水の方向が分かると考えるほかなかった。帰って父に理由を聞いてみると、それははまぐりの「ホンノー」というものらしかった。ホンノー?何だ、それは。超能力か?それとも、磁力みたいなものか?どうして目も鼻もないのに、水の方向が分かるのか?その「どうして」には答えてもらえなかった。生き物はみんな、やり方は別々でも、その生き物なら必ずある行動を取るようになっているのだとしか教えてもらえなかった。いつも詳しすぎるくらい説明してくれた父なのに、なんだか、この時はうまくはぐらかされたような答えだった。そんな少年時代の思い出の日々から、もう25年近くたつ。はまぐりたちには、実に多大な迷惑をかけたものだ。本当に済まなかった。今、謝りたい。「わが少年時代に、多数の悔いあり!」あれから20数年、私もこの間、いろんなことに触れ、いろんな仕事をやってみた。悪ガキに捕まったはまぐりのように、あちこちに気が散り、四方八方をさまよったこともあった。だが、今は、私の方がはまぐりのように、「日本の歴史」という水辺に、知らず知らず引き寄せられているようだ。考えてみれば、我々日本人も、東京裁判史観と共産主義という悪ガキに捕まって、「日本の歴史」という池の中から手当たり次第に引き上げられ、あちこちに離散してしまったようなものだ。だが、池はちゃんとある。心の目を見開けば、ちゃんと残っているのが見えるだろう。我々の世代の目覚めを待っているのが、分かるだろう。祖父母も父もいない私なのに、本気で生きてみると、いつも行き当たるのは「歴史と古典」である。歴史と古典のありかを探り当てる目も鼻もなかったのに、である。もしかして、これは、日本人としての「本能」というものだろうか…。と考える今日この頃なのであった。(最後は西南の薩摩藩士・M君の真似)