顔
夏の読書合宿で小泉信三博士を紹介しようと思って、一足早く全集や評伝を読み返している。小泉博士もまた、かつて学んできた人物のように、名文があまりに多い。毎回、読書合宿の準備が一番骨が折れるが、文献を選ぶのも一苦労だ。眉目秀麗、長身で名高いスポーツマンだった小泉博士は、銀座の女性たちが振り返り、噂にするほどの美男子だった。学術的にも社会思想史や経済学で優れた業績を残し、「共産党宣言」を共産主義者より早い時期にドイツ語で読み、批判的見解を明らかにした先駆者でもあった。だが、博士は1945年5月、東京の空襲で火災に巻き込まれ、顔面と上半身に大火傷を追ってしまう。入院中の屈強さや優しさにも感動するのだが、私が本当にすごいと思ったのは、その後も変わらず続いた剛毅な生活である。「小泉信三全集」は全28巻あるが、毎回、幼少期から成長順に小泉博士の写真が掲載されている。そして、10巻で空襲後の顔写真が掲載される。大変な変わり様だ。どれだけ痛く、辛く、悔しかったかと思う。町ですれ違った子供は泣き出した。夜の学校で会った人は驚いた。竹山道雄氏も、「主役としての近代」の中で小泉博士のことを書いている。私はずいぶん前に『共産主義批判の常識』を読み、それから『平生の心がけ』を読み、その文章の簡潔さ、爽快さから、この方はきっとキリッと引き締まった顔だろうと考えていた。だから『私の履歴書』で初めて顔を見て、驚いた。私が愛読してきた本は、退院から二年ほど後に書かれていたのである。しかも、手足も不自由になりながら、それでも研究やスポーツを怠らなかったのである。私は小泉博士を、人並み外れて克己心と自制心が強い方だと感じた。やはり、文体や言葉遣いは生き方を表すものだと感じた。リンカーンも鴎外も、人間は顔に責任を持つべきことを言い残したが、この逸話が有名になったのは、小泉博士の遺作『国家の死亡』にある「顔」に書かれているからではないのだろうか、と感じた。リンカーンも鴎外も、40歳が顔を作る限界の年齢という点では偶然一致している。私はあと8年。学生たちはあと20年前後。あとはその顔のまま、年老いるのみである。老後の私は、どんな顔になっているのだろうか。松永安左エ門か御木本幸吉、杉浦重剛のように、一目で人生が感じられるような顔になりたいものだ。