カテゴリ:教養・学術書(西洋史以外)
外山滋比古『ライフワークの思想』 ~ちくま文庫、2009年~ 以前記事も書きました有名な作品『思考の整理学』の著者である外山さんの作品を読んでみました。私にとっては、外山さんの作品を読むのはこれが2回目です。 本書の構成は次のとおりです(節番号は[ ]に入れて便宜的に付しました)。 ーーー 第一章 フィナーレの思想 [1]ライフワークの花 [2]フィナーレの思想 第二章 知的生活考 [1]再考知的生活 [2]分析から創造 [3]発見について [4]忘れる 第三章 島国考 [1]パブリック・スクール [2]コンサヴァティヴ [3]大西洋の両岸 [4]島国考 第四章 教育とことば [1]教育の男性化 [2]面食い文化 [3]市民的価値観 [4]ことばの引力 [5]ことばと心 文庫版あとがき ーーー 読了してから感想を書くまでにものすごく時間が経ってしまったので、ずいぶん忘れてしまってきていますが、興味深く読めた1冊です。 第1章[1]の標題に、ライフワークの「花」とあります。こちらが、現代日本の文化を論じる上での重要なキーワードです。 つまり、文明開化以来、日本人はヨーロッパ文化の「花」を摘み取ってきて、その花を愛でたり、せっせと多くの花の名前を覚えたりしていました。ところが、その花が散ってしまうと、もうその花を咲かせることはできません。 あるいは、カクテルのたとえもありました。お酒を混ぜて、美味しいカクテルをつくる。しかし、それは自分で酒をつくったことにはなりません。 花を摘んでくるのではなく、球根から自分で育ててみよう。カクテルを作るのもいいけれど、自分の酒をつくってみよう―。これが、第一章のテーマとなっています。 と、具体的な事例を書かずに抽象的な部分を記事に書いていますが、しかしこれでも第1章のイメージはお伝えできるのではないか、と思います。 そして[2]の中で興味深かったのが、日本人の頭から生み出される「人を酔わせるアルコール」は、江戸時代の能や浮世絵などであり、明治以降にはほとんど生まれていない、という指摘です(26頁)。 私自身をふりかえってみると、外国の文献や先行研究などをたくさん読んで中世西洋の勉強をしてきていますが、しかしこれは花をせっせと摘んでいるだけ、ということになるかと思います。しっかり自分の頭で考えて、新しい問題を見つける―。時間がかかるかもしれませんが、今後も心がけたいと思います。 第二章は、『思考の整理学』のエッセンスを整理・要約したような印象でした。たとえば、[4]の「忘れる」は、覚えることがあまりに重要視される中にあって、「忘れる」ことの重要性を指摘しますが、これは『思考の整理学』でも強調されていました。 第三章は、主にイギリスの事例の紹介をしながら、同じ島国である日本のことを考えるという内容になっています。イギリスで、保守と革新の絶妙な調和があることにふれながら、それをよく示す例としてヒルトンの『チップス先生さようなら』が取り上げられます。以前に読んで、例によってもはや内容は忘れかけていますが、こういう視点から読めるのか、と勉強になりました。また機会を見つけて読み返してみたいです。 [4]「島国考」の、島国の言語と大陸の言語はそれぞれ論理が異なる、という指摘が興味深かったです。つまり、外部から流入してくる要素が少ない島国は、コンパクトな言語社会となります。それはいわば「通人の集団」なので、野暮を疎み、省略したり飛躍性の多い言葉を使うようになる、というのですね。「日本語に論理がないのではない、島国言語の論理は大陸言語の論理と違うだけのことである」(159頁)という言葉は、なんというか目からウロコでした。 島田荘司さんは日本人の敬語文化の弊害を嘆いていらっしゃいますが、そういえばイギリスでも階級のはっきり分かる言葉が使われるとか…。このあたりも、島国言語という観点から見ていくことができるのでしょうか。 教育に関するエッセイを集めた第四章も興味深いです。特に、学校での教育は現実を言葉という記号に置き換えて行っているという事実と、その弊害を指摘する[2]が印象的でした。カエルの鳴き声が「ゲロゲロ」なのは知っていても、実際に本当の鳴き声を聞いたことがなかったという文学者の例がひかれていますが、知識として覚えさせられても、実際にどれだけ役立つか、というところを反省しよう、というのですね。 そんなこんなで、興味深い一冊でした。 (2010/08/05読了)
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