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カテゴリ:村上春樹
えーと、このあいだ、むらかみはるきさんの「すぷーとにくのこいびと」というほんをよみました。おともだちのきれいなおねえさんに「私ってこの作品の意味がいまひとつぴんとこないのよね。もし読んだら感想聞かせてくれる?」っていわれて、「あっ、はっ、はい」ってこたえちゃったんだ、おもわず。すてきなおねえさんだったからね。で、かんそうかかなきゃいけないんだけど、この本けっこーむつかしいなーっておもいました。どうしよっかなー。あんまり自信ないんだよね。
まずさいしょのところ、これはなんていうか、ふぃっつじぇらるどっていったっけ、あの人の短篇のでだしにちょっと似てるかなーってかんじがしました。いちばんさいしょのところなのに、ほんとはおわりのことがかいてあるんだよね。これってちょっとかっこいいなーっておもいました。「いまからはなすおはなしはね、じつはもうおわってるんだよ」ってはなしはじめられたら、ちょっとかっこいーなーっておもうでしょ。おもわない?そっか、おもわないか。それならそれでいいんだけどね、べつに。 えっと、それですみれちゃんっておんなのこがでてきて、これが「のるうぇーのもり」のなにちゃんだっけ、おんなのこにちょっと似たふんいきのおんなのこでさ、さいしょのほうはなんだかたのしいんだよねー。「みたいな」「ような」ってたとえばなしがおもしろくって。ぼくこういうたとえってすきだなーっておもいました。でも、こういうたとえをつぎつぎにしょうせつに書いちゃう人って、げんじつには無口でむっつりしてたりするんだよね、たぶん。で、ときどきひとりで「むふっ」ておもいだしわらいしたりして「きもちわりー」っていわれたりするんじゃないかな。きっと。そんなきがする。 そのすみれちゃんがみゅうっていうおんなのひとすきになって、「ぼく」はすみれちゃんがすきで、でもかなわなくて、すみれちゃんはみゅうっていうひとがすきで、でもかなわなくて、みゅうってひとは14年前にじぶんのすがたをじぶんでみてからぬけがらみたいになっちゃってひとがあいせなくて。つまりみんなかなわないわけね。で、ひとりぼっちになっちゃうわけ。そんなはなしなのかな。 で、すみれちゃんがきえていなくなっちゃうんだ。でもすみれちゃんの書いたぶんしょうはふろっぴーにのこってるわけ。ほんにんいなくて、ぶんしょうだけだから、このぶんしょうってぬけがらみたいなもんだよね。そして、すみれちゃんがいなくなって、「ぼく」はたいせつなひとがいなくなってぬけがらになっちゃう。みゅうちゃんはもとからぬけがらだ。「ぼく」の生徒で万引きしちゃうこもなんだかぬけがらみたいなんだよ。そのおかあさんもぬけがらみたい。つまりみんなぬけがらみたいで、しかもひとりぼっちなんだよね。ぼく、よんでてなんだかさみしくなっちゃった。これって、 みんなぬけがらでひとりぼっちってことじゃない。なんかさみしいよねー。 これまでよんだはるきくんのしょうせつでも、だいじなひとがいなくなっちゃうっていうはなしはおおかったけど、あれはだいじなひとがだいじなまんまいなくなっちゃうんだよね。だから、さがすことにもなんだかとってもだいじないみがあるんだとおもう。でも、ぬけがらのままいきてて、おたがいにしっかりつながることができないほうが、あるいみじゃもっとさみしいよねー。だいじなひとがだいじなまんまいなくなっちゃうよりか。 それって、はんぶんだけおひさまがあたってるおつきさまみたいなもんじゃないかなーってきもします。はんぶんあかるくて、はんぶんはくらくて、むなしいきもちで、ちきゅうのまわりをぐるぐるまわりつづける、じんこうえいせいのおふるみたいに。 ぐるぐるまわってるってことは「いんりょく」がないわけじゃないんだよね。どっかにとんでいっちゃうんじゃないんだから。いんりょくはちゃんとはたらいてるわけ。でも、そのいんりょくがつよければみんなひとつのばしょにあつまって、しっかりてをにぎれたりするんだろうけど、そこまではつよくないんだよね。たぶん。だから、ぐるぐるぐるぐるちきゅうのまわりをまわりつづけて、ときどきなんかのひょうしにおたがいにすれちがったり、せっしょくしたりするんだけど、それもいっしゅんで、またそれぞれべつのほうこうへとびさっていく。そういうことなのかな、よくわかんないけど。 それでさ、ぼくはがっこうのかえりのでんしゃのなかで、このほんよんでて、あと4ぺーじでおわるってとこで、えきについちゃったんだ。あとはねるまえによもうかなとおもって、よるおやすみするときにそこをよんだわけ。するとびっくり。いなくなったすみれちゃんからでんわがかかってくるんだよね。でもね、ぼくはおもうんだけど、このでんわほんとはかかってきてないとおもうんだ。すみれちゃんがこっちのせかいにきたんじゃなくて、「ぼく」がすみれちゃんのいるあっちのせかいにいったから、でんわのべるがきこえたんじゃないかな。「だから、それがどうしたんだよ」っていわれてもこまるんだけど。 でもさ、これまでは、あっちのせかいからこっちのせかいにだいじなひとをつれもどすってことがむらかみさんのしょうせつのだいじなてーまだったじゃない。それがここでは、ちょっとかわってる。あっちからこっちにひきもどさなくても、じぶんがあっちへいってもいいんじゃないか。ふたつのせかいって、そんなにちがうもんじゃなくって、どちらにいるかってそんなにけってーてきなことでもない。そういうことがかいてあるんじゃないかともおもうんだけど、そのへんはじつはまだよくわからないし、もやもやしてて、せいりせいとんできてません。 どうしよっかなー、きれいなおねえさんになんていおうかなー。いちおうよみはじめたんだけど、のはらのなかをこのほんをよみながらあるいてたら、いきなりおおきな野井戸があって、そのなかに本おっことしちゃったってことにしようかな。うん、それがいいや。ぼくってけっこううそつくのうまいし。うそのつきかたにみがきをかけたら、そのうちしょうせつかになっちゃったりして。それはないか。それとものはらをあるいてたらとつぜんたつまきにまきこまれてほんがおそらにすいあげられちゃったってことにしようかな。まあ、いいや、てきとーにごまかそっと。よくわかんないんだもん。じゃあ、おやすみなさい。よいことむらかみはるきさんはよるのじゅうじにはしゅうしんするのだ。それがこのよのきびしいおきてなのだ。なぜそんなにはやくねるのかって。きまってるじゃない、あしたのあさろくじにおきるためだよ。それがこのよのきびしいおきてなのだ。じゃあね。おやすみなさい。またね。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
2006.02.07 21:33:57
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