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カテゴリ:村上春樹
「ただいまー」
「おかえりー」 「あっ、ジュンちゃん来てたんだ」 「ひさしぶりだね、沙羅。今日はお母さんにちょっとお話があって来たんだ。」 「お話終わったの」 「いや、まだ。それより沙羅、今日学校で何ならったんだい」 「えっとねえ、今日は国語があってね、作文書いたの」 「へー、作文か。沙羅は国語は得意なの」 「うん、けっこう好き。でも作文はめんどくさくってあんまり好きじゃない。」 「そっか」 「ジュンちゃんは小説書いてるから、子供のころ作文は得意だったんでしょ」 「うううん。ぜんぜん。へたくそだった。自分ではなにも書きたいことないし、先生が何を書いてほしいかもわからないし。考えてるとだんだん息が苦しくなって、汗がだらだら出てきて、あと5分って時にてきとうなこと書いていつもごまかしてた」 「そう。沙羅も作文はあんまり好きじゃない」 「今日はどんな作文書いたんだい」 「えっとねえ、先生が黒板に『もしも○○がなかったら』って書いてね。何でもいいからこの○○にことばをいれて、それをタイトルにして好きなことを書きなさいっていったんだ。○○に入れることばはなんでもいい。字数も自由でいいよって」 「ほー、それで沙羅はどんなことばをそこに入れたの」 「最初はねえ、『わたし』って入れたんだ」 「ほう、『もしもわたしがなかったら』か。わるくないねー。それで」 「『もしもわたしがなかったら、わたしはわたしじゃないほかのだれかだったと思います。おわり。』ってかいたの」 「おや、いきなりおわっちゃうのか。ずいぶんはやいね。」 「うん、せんせいもおんなじこというの。そして沙羅ちゃん、まだ時間はいっぱいあるし、お友達もいっしょうけんめい書いてるから、もうひとつ書いたらっていったの」 「うん、それで」 「それで『もしもおわりがなかったら』って書いたの。」 「ほお、なかなかおもしろそうだね。それで?」 「『なにもはじまりません。おわり』って書いたの」 「沙羅の作文はいつもすぐおわっちゃうんだね」 「うん、先生もそういうの。それでもうひとつ書いてみたらどうだろうっていうの。だから沙羅今度は「もしも『もうひとつ書いてみたらどうだろう』がなかったら」って書いたの」 「『わたしはなにも書きません。おわり。』って書いたんだろう」 「うわー、すごい。ジュンちゃんなんでわかるの。そのとおりだよ。」 「すると先生はむっとしてあっちにいっちゃった」 「そうだよ、ジュンちゃんどっかでみてたのー。」 「いいや、なんだかそんな気がしただけ」 「そうなんだー。それでさ、沙羅、先生になにか悪いことしたみたいな気がしたもんだから、原稿用紙の次の行に『もしも先生があっちに行かなかったら』って書いたの。」 「私はまだ作文を書かなきゃいけない」 「そう、ジュンちゃん、その通り。小説家ってすごいんだねー。私が何書いたかみんなわかっちゃうんだ」 「いや、そういうわけでもない。自分の好きな人のことはわかるけど、きらいな人のことはぜんぜんわかんないんだ」 「へー、そうなんだ。でもジュンちゃんだったら、この後何を書く?。私はそこでチャイムが鳴っちゃったからその後は書けなかったんだけど。」 「うーん、そうだな。『もしも先生があっちに行かなかったら、私はまだ作文を書かなきゃいけない。でも先生はあっちにいっちゃった。だから私は作文を書かなくてもいい。でもそう思ったら、なんだか少し作文を書きたくなってきた。もしも『書かなきゃいけない』がなかったら、わたしは作文を書くかもしれない。そしてその作文をどっかのだれかが読んでくれたら私はうれしいかもしれない。もしもその人が「おもしろいね」っていってくれたら、わたしはますますうれしくなっちゃって、ますますいっぱい書くかもしれない。するとますます多くの人が私の作文読んでくれて、いろんな感想を書いてくれるかもしれない。そしたらますますたのしくなっちゃうかもしれない。そしてますます作文書くのたのしくなってきたら、先生がもどってきて、たのしそうなわたしを見て、「あ、あんなにたのしそうなら、わたしもちょっと書いてみようかな」って思うかもしれない。そして先生がいっしょうけんめい作文を書き出したら、先生は先生じゃなくなっちゃうかもしれない。そうして先生が先生じゃなくなっちゃったら、わたしたち前よりもずっとなかよしになれるかもしれない。そしてふたりでおたがいに作文を見せっこして、「あっ、ここいいね」とか「あっ、ここってこんなふうにもかけるんじゃない」とかいいあって、ますますたのしくなっちゃうかもしれない。そして、ふとおたがいに顔を見合わせて、しばらくじっと見つめ合って、「ぷっ」って吹きだしちゃうかもしれない。そして、ふたりで原稿用紙に同じことを書くかもしれない。「もしも、この『もしも』がもしもじゃなかったら、どんなにたのしいだろうに」って。そして、お互いにその原稿用紙をとりかえっこして、ふたりともうちにもってかえるんだ。そして、ふたりとも黙ってそのつづきをおうちで書き続けるんだ。』 「ふううん」 「どう、沙羅、この新聞の広告のうらにふたりで作文書いてみようか」 「うん、いいよ。」 そういって二人は沙羅の筆箱の鉛筆を手にとり、パチンコ屋のオーブンのちらしの裏にそれぞれ作文を書き始めました。 「もしもジュンちゃんがわたしのおとうさんだったら」 「もしも沙羅が私の娘だったら」 沙羅はジュンちゃんが作文を書いている姿をじっと見つめました。そして筆箱から消しゴムをとりだして、いま書いた一行をごしごしと消し始めました。 「沙羅、なんて書いたんだい」 「しっぱいしちゃった。ジュンちゃんはなんて書いたの」 「僕もしっぱいしちゃった。ちょっと消しゴム貸して。」 沙羅はジュンちゃんの書きかけの紙をぱっと取り上げようとしました。でもジュンちゃんはその紙を手にとってくしゃくしゃっと丸めてゴミ箱にぽいっとほうりなげてしまいました。 「もしもふたりがもうすこしすなおだったら」 ふたりは同じことばをこころのなかの原稿用紙にそっと書きつけました。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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