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M17星雲の光と影

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2006.05.26
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カテゴリ:その他
柳澤桂子「いのちとリズム」(中公新書)読了。私はこの人の文章が好きです。科学的で明晰であることと、情緒的で詩的であることを自然に融合させることのできる人、それが柳澤桂子という人ではないでしょうか。こう書くと、なんだかアクロバティックなことをやっている人のように思われるかもしれませんが、けっしてそんなことはありません。ギリシャの自然哲学者と呼ばれる人たちは、皆一方では詩人であり、もう一方では科学者だったわけですね。科学の根源にまで遡れば、そこには自ずから湧き出てくる詩の泉があるのだと思います。彼女はその泉の清冽な湧き水をそっと手ですくいあげて、やさしいことばにしてくれる人なのです。

この本はけっして読みやすい本ではないかもしれません。中学、高校と理科はさっぱりだったという方にはちょっととっつきにくい部分があるようにも思います。生物、化学の術語に慣れていない方は思わずため息をつく瞬間もあるでしょう。私は生物、とくに分子生物学だけは学生時代から好きだったのでそちらは大丈夫ですが、化学は少し(というかずいぶん)心もとないので、前半部は「ちょっと飛ばしちゃおうかな」と思うところもありました。でも、だんだん面白くなってくる。少しずつ湧き水の甘さがわかるようになってくる。読み終わると、ずいぶん勉強になりました。とにかく「はっ」とする瞬間が何度もありました。透明感のある素敵な文章です。詩は好きだけど、自然科学系はちょっとという方にはおすすめですね。逆パターンの方にはおすすめしません。

この本を読んで、私なりに「はっ」としたところを挙げてみると、まず第一に空間と時間の定義について書かれた部分、ここが印象に残りました。「空間とは何か」「時間とは何か」と訊かれて、即座にそれぞれの定義を述べることのできる人が何人いるでしょうか。少なくとも私にはできません。そもそもそういう問題が立てられた時点で、「ああ、例の哲学論議ね」と思って、読むのをやめてしまうと思います。でも、この本に述べられている定義を見て、私ははっとしました。とても新鮮だったのです。

この本に「19 非平衡系と生命現象」という章があります。わずか9pからなる章です。その中に時間と空間が定義されています。おそらくそのまま書き写してもちょっとわかりづらいと思うので、自分なりの理解にもとづいてリライトしてみます。たぶん不正確な記述になると思いますが、私なりに理解したところを書いてみることにします。

ここにある空間があるとします。そこは均質な空間です。つまりAという地点で周囲の状況を観測しても、Bという地点で周囲の状況を観測しても、まったく同じデータが得られます。どこにいってもまったく同じ観測値が得られる場合、こういう系(システムですね)を「熱力学的平衡系」といいます。(このことばはそんなに気にしなくていいです。とにかくどこいっても同じ計測値が得られるシステムと考えてもらえばそれで十分です)このシステムの中にいる限り、どこにいっても同じことになります。というか、場所を移動しても移動したということに気づくことができません。だって、観測データがまったく同じなんですからね。そして、この系が水の中の世界だとして、下から熱で温めてみたらどういうことになるか。熱せられた下の水は温かくなって上に上昇し、上にあった冷たい水は下降します。お風呂を沸かしているところを想像してもらえばいいです。水は熱対流を始めます。

するとどうなるか。下にいくと「つめたーい」と感じ、上にいくと「あったかーい」と感じる。つまり、さきほどの熱力学的平衡状態はこわれるわけですね、外部からの熱によって。これを「対称性の破れ」と呼びます。つまり平衡状態、どこでもまったく同じ状態を「対称性」と呼び、それがこわれた状態を「対称性の破れ」と呼んでいるわけです。

柳澤さんによると、こうして対称性が破れ、Aという地点とBという地点の観測データが違ってくるとどうなるか、そうなってはじめて、ああ、いま自分はA地点にいるんだなということを知ることができるようになる。この時に「空間」という概念が生まれるというんです。

これは空間だけではなく、時間についてもいえます。時間的なある地点Aとある地点Bの間に何の違いもなかったら、「時間」というものは存在しないはずです。そうですよね。でもAという時間とBという時間の間にちがいがあれば、「あ、時間がたった」ということに気がつくはずです。この時、「時間」という概念が生まれるというわけです。

Aという地点とBという地点に空間的違いがある時、はじめて空間が生まれる。Aという時間とBという時間の間に違いがある時、はじめて時間が生まれる。こういう定義って面白いと思いませんか。

「ちょっと待てよ、その定義はおかしいんじゃないか」といわれる方があるかもしれません。いや、私もはじめそう思ったんです。よく考えると、この定義はおかしいですよね。だって、Aという地点とBという地点を考えた時点で、そこには「空間」というものが前提されていたはずです。そうですよね。空間がそもそもなければA地点もB地点も存在しないはずです。同じくある時刻Aとある時刻Bについても、そこにはまず前提として「時間」が存在していたはずです。これはおかしい。循環論法ではないか。そう思われたとしても不思議ではない。でも、私がこの定義が面白いと思ったのは、実はその「おかしさ」にあるのです。

「これでいいのだ」ーバカボンのパパのように私はそう思うのです。この定義はいわば「入れ子」の定義です。空間の定義をしようとして空間という箱を開けてみると、そこには一回り小さな空間が入っていた。そして、それを開けると、また一回り小さな空間が……。おそらく世界はそういう構造をしているのではないかと私は思うんです。

だって、私たちは世界の中に住んでいるわけですよね。その世界の中に住みながら、「世界とは何か」って考えてるわけです。そして、その世界の属性として空間や時間を定義しようとしている。世界の中にいながら、その世界を定義しようとすれば、それは「入れ子」構造になって当然ではないか。私はそう思います。

つまり私たちのやろうとしていることは、自分が体重計に載る、しかし何らかの理由で自分の足と体重計の表面は切り離すことができない形で癒着してしまっている。さあ、この状態で自分の体重と体重計をあわせた重さはどれくらいあるか。それを考えているようなものだと思うのです。それを正確に計ろうとしたら、もう一台体重計をもってこなくちゃならない。でも、その二台目の体重計込みの重さを計ろうとしたら、今度は三台目が必要になる。こうしてどこまでいってもキリがなくなる。そういうことではないでしょうか。

そして、私たちの足はまさに重力によって地表にべったりと癒着しています。空中に自由に浮かび上がることはできない。だから、空中から地表を見おろして、航空写真のように客観的に地上を観察することはできないわけです。地上にべったりと足をつけながら、なおかつ地上がどうなっているかを知ろうとするとき、その「知り方」すなわち「定義」が「入れ子」構造になるのはあたりまえじゃないか。私はそうも思うのです。

だから、「どこへ行ってもまったく同じだったら、そこには空間はないのだ」、「いつでもまったく同じ状態だったら、そこには時間はないのだ」ーこの考え方は正しいのだと思うのです。すると、空間とはなにか、と聞かれたら、「こことあそこがちがうこと」と答えればいいし、時間とはなにか、と聞かれたら、「いまといまじゃないときがちがうこと」と答えればいいのではないか。そう考えるのです。

空間的なこことあそこが違う時、はじめて空間が生まれ、時間的なこことあそこが違う時、はじめて時間が生まれる。私はこの考え方を知って、とても感心してしまいました。

空間も時間も最初からあるものではないのですね。こことあそこがちがう。そう意識したとき、はじめて空間と時間は生まれる。なるほどなー、と私は思いました。

私とあなたがまったく同じ人間だったら、「人間」という概念はおそらく存在しないはずです。違うからこそ、そこに人間という概念が生まれる。

自分が男で、目の前にいるのが女性である。この違いから「性」の概念が生まれる。まず「性」があって、その具体的なあらわれが男と女というわけではないんです。順序が実は逆なんですね。

なにいってんだかわからないよーと思われる方もおられるかもしれません。でも、右手しかなかったら右はないんです。右手があり、左手があるから、右左という概念が出来るのであって、この順序は逆にはならないんだ。私はそこに感心しているわけなんですよ。といっても、わからない人にはわかってもらえないかもしれない。

少なくとも、対称性を破ることによって事象は複雑さを増し、その複雑になる過程を経て、生命体が生まれ、やがてわれわれ人間が生まれてきた。柳澤さんはそういっているわけなんです。

空中に煙を吐き出すと、それはほぼ均質に空間の中に散らばると思います。でも自分の手のひらをじっと見てください。そこにはタンパク質が自然の平衡状態では考えられないほど、偏った形で存在しており、それが自らの意志と目的をもって動いている。

宇宙空間に平衡状態で存在していたはずの物質が、なぜこんなにも特殊な集まり方をして、それが意志をもって動き、こんなふうにパタパタとキーボードを打っているのか。そこに生命の神秘がある。柳澤さんはおそらくそうおっしゃっているように私には思えました。

生命ってなんて不思議なんだろうと思ってる、その主体もまた生命体なんですね。私たちの世界はどこまでいっても入れ子状態になっている。原子核の回りをぐるぐる回る電子と、宇宙空間の惑星の動きはまったく同じ軌道を描いている。やっぱ、世界は入れ子なんだ。そう思った私でした。

ややこしくて、わかりにくくて、おまけに長くてすみません。言いたいことはただひとつ。「世界は入れ子じゃ、マトリョーシカじゃ」ということです。

こんど新宿三丁目の「マトリョーシカ」にいって、グルジアのワインでも飲みながら、このことをじっくり考えてみることにします。金曜の夜は頭から煙が出てるので、意味不明な部分は許してください。疲れる一週間でした、ほんとに。おつかれさまでした。いい夢を。





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Last updated  2006.05.26 22:37:13
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和久希世@ Re:大江健三郎v.s.伊集院光1(03/03) >「彼はこう言いました。「それもそうだ…
kuro@ Re:「チャンドラーのある」人生(08/18) 新しいお話をお待ちしております。
あああ@ Re:大江健三郎v.s.伊集院光2(03/03) 非常に面白かったです。 背筋がぞわぞわし…
クロキ@ Re:大江健三郎v.s.伊集院光2(03/03) 良いお話しをありがとうございます。 泣き…
М17星雲の光と影@ Re[1]:非ジャーナリスト宣言 朝日新聞(02/01) まずしい感想をありがとうございました。 …
映画見直してみると@ Re:大江健三郎v.s.伊集院光1(03/03) 伊集院がトイレでは拳銃を腰にさして準備…
いい話ですね@ Re:大江健三郎v.s.伊集院光1(03/03) 最近たまたま伊丹作品の「マルタイの女」…
山下陽光@ Re:大江健三郎v.s.伊集院光1(03/03) ブログを読んで、 ワクワクがたまらなくな…
ににに@ Re:非ジャーナリスト宣言 朝日新聞(02/01) 文句を言うだけの人っているもんですね ま…
tanabotaturisan@ Re:WILL YOU STILL LOVE ME TOMORROW(07/01) キャロルキングの訳詩ありがとうございま…

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