札幌にて
先週の土曜日、札幌に講演に出かける。これで今年通算10本目の講演行脚である。そのほとんどは東京から西への移動だったが、今回は方向を大きく転じて北海道。しかも日帰りの強行軍である。飛行機に乗るのは実にひさしぶりだ。すっかり乗り方を忘れてしまった。総務課の人間にチケットの手配を頼んだら、「ほいよ」とパソコンからプリントアウトされたA4の紙を二枚渡された。「なんだよ、これ。こんなんでだいじょうぶなの?」「だいじょうぶ、だいじょうぶ、それで乗れるって。じゃあな」その紙には飛行機の便と時間、そしてQRコード(携帯のカメラで撮影するための脳みその皺みたいなぐにゃぐにゃしたコード)が印刷されているだけ。こんな紙切れひとつではたして北海道まで行けるのだろうか。後でわかったことだが、これは「スキップ」というシステムだそうである。手荷物検査の入口にQRコードを読み取るガラスの小窓があり、そこにコードをかざすと、ぴっという音とともにレシートのようなものが出てきて、そこに自分の名前や搭乗予定が書いてある。搭乗する際も同様で、カウンターの読み取り機にQRコードをかざすと、その場でチケット(というよりもデパートのレシートみたいなものだが)が出てきて、それに座席番号が書いてある。なんだか釈然としない気分のまま、飛行機に乗り込む。そうこうしているうちに飛行機が離陸する。前夜の寝不足がたたって目を開けていられない。睡魔が襲ってくる。離陸直後に、はるかかなたに霊峰富士の姿を見た以外は、ほとんど寝ていた。やがて「当機はまもなく新千歳空港に着陸します」というアナウンスが流れる。窓から下を眺めると、陸地が見える。もうかなり低空飛行をしており、地上の木々がはっきりと見える。地面はうっすらと白い。今日の予想最高気温は零下3度。「最低」ではない。「最高」である。おそらく昨日の夜、降雪があったのだろう。こうして上から見ると、木々の様子、植生が本土と異なっているのがわかる。目に入るのは細く尖った針葉樹の枯れ枝と地面の雪だけ。ああ、もう照葉樹林文化圏を脱してしまったのだなあという感慨がそこはかとなく湧いてくる。無事着陸して機外に出ると、かちんとした冷たい空気にぶつかる。「おお、さぶっ」というようなやんわりとした寒さではなく、かっちりとした冷気があたりに満ち満ちており、それに体がぶつかった感じである。変な感想だが、ワイキキの空港でがつんとした熱気にぶつかるのと、どこかしら共通点があるように思える。いさぎよいというか、きっぱりしたというか、半端さを感じさせない寒さである。「おお、寒い」とか、「うう、寒い」とか言う時の、「おお」や「うう」を許さない問答無用の断言口調(というのも形容矛盾だが)の寒さである。私は基本的に寒さを好まないが、ここの寒さにはどこかしら好感がもてる。真夏の福岡で肌に突き刺さるような日射しを浴びる気分とどこか似ている。それに空気の質感が違う。湿り気をとりさった、からっとした感じがなんだか心地いい。しかし、そんな感慨に浸っている場合ではない。とりあえずエアポートという電車に乗って、札幌駅に向かわなければならない。空は快晴。下にはうっすらとした雪。車道は大丈夫だが、歩道はところどころ凍結しているようだ。そこもべちゃべちゃ感のまったくないきわめてドライな凍り方である。札幌の駅に着き、改札を出る。駅前の通りはどーんと広い。外は寒いというより、むしろ冷たい。日陰に入ると風がきついので、思わず近くの大丸デパートに入る。わざわざ札幌まで来たのだから、すしでも食うか。そう思って、8Fにある「すし善」に向かう。前日、札幌の食い物屋をネットで調べていたら、東京の金持ちが日帰りでこの店に(といってもデパートではなく、本店だが)すしを食いにくるという話が書いてあった。あまりにいけすかない話なので、自分で実行してみようと思い立つ。ちょっと説明するのがむずかしい心理である。とりあえず、リーズナブルなお値段のにぎりセットを頼む。磨き込まれたカウンター席に座ると、すし屋なのに店員さんが物静かだ。小さな声で注文を聞く。隣の席にはなんだかあか抜けない風情の10代後半の女性が座っている。その隣にはさらにあか抜けない男性がぼーと前を向いて放心状態である。でも、そのぼーとしたふたりが、ぼーとしたなりに、なんだか気持ちを高揚させているのがわかる。彼らは緊張しているのである。おそらくは初デートであろうか。「よし、お昼はがんばって大丸のすし善にしよう」、男性がそう決意し、勇気をもって実行している真っ最中なのであろう。やがてそのカップルの目の前にすしがくる。板さんがひとつずつ握ってカウンターに置いてくれる。女性は箸をもって、すしをつまみ、右ひじを張り出すように高くかかげ、顔に向かってやや斜め上方から飛行機が着陸態勢に入るようにすしを滑空させ、縦方向にぱくりと口に入れる。なんだかカメレオンが虫を食べているようである。箸でつまんだすしをいったん自分から離し、そこからひじを張った状態で自分の口めがけて縦方向にすしを入れる。若い女性がチョコパフェかなんかを食べる時には時折見かける食べ方だが、すしにはどうなんだろう。でも女性はまったく意に介することなく、ぱくりぱくりとすしをほおばり、「おいしー」を連発する。まあ、なんというか、ほほえましい光景ではある。少なくとも反対側に座っている3~4歳のこまっしゃくれたガキが「ぼく、とろー」とか言っているのよりはよほどいい。今、大地震が起こって、このビルが瓦解したら、とりあえずどちらを助けるかは明らかである。私の目の前にもすしがくる。やや小ぶり、上品な流線形である。ネタはひらめ。すでに刷毛で醤油がうっすらと塗られている。口のなかに入れると、飯もネタも口の中でほどけて溶けて消えてしまう。イカ、コハダ、まぐろ、とびこ、いくら。すべてあっさりと口中に消えていく。口に入れたとたんに「うまい」というのでは必ずしもない。淡い味がひととき口の中を通りすぎ、その後にほのかなうまみが残響のように体の中に広がっていく。そういう感じである。魚介類にはおよそ臭みというものがない。きわだった匂いもしないし、味もほのかである。まるで谷川の湧き水にしばらく浸した後で、そこから引き上げたばかりのネタを次々に口に運んでいるようだ。「とびこ」がこんなにおいしいものだとは知らなかった。さらに驚いたのは「ほたて」である。透明感のあるほのかな甘みが、口の中のはるかな回廊をどこまでも通り抜けていく。これがほたてならば、これまで自分が食べてきたものはいったいなんだったんだろう、そう思ってしまう。一通りすしを食べ終わり、岩のりの入った上品な吸い物を啜っていると、「追加でにぎりましょうか」と板さんが小さな声でささやく。「ああ、いや、いいです」といいながらも、腹の中に何かがたまっているという感触がまるでない。この調子で食べていたらきりがない。それに第一、これから大きな仕事が待っている。ほわーとした気分のまま、すし善を後にする。そのすしのうまさの半ば以上は、店を出てから感じられたようにも思える。かすみでも食べたんじゃないかという気がするほどだった。食後、デパートの中と駅前の通りをしばらく散策する。デパートの中で感じたのは、北海道の人は狭いところを歩くのがあまり得意ではないということだ。歩こうとすると、何度も目の前に「ぬぼー」と人が立っているところにぶつかる。けっして悪気があるわけではない。ただ、ずどーんと人が突っ立っているだけである。東京の電車のホームでよく見かけるような、こすっからいドブネズミがちょろちょろと目の前を通りすぎるというのとはちがう。ただ、なーんにも考えずに、自然に、ぬぼーっと突っ立っている方がおられるのである。それもなぜか、女性が多かったように思う。どうもこの地では、女性はゆったりのんびり、それに比して男性は比較的細やかに気をつかっておられるようである。こういうところもなんとなく博多に似ている。女性の存在感が強いところにいると、気持ちが落ち着く。そういえば機内で読もうと思って持ってきた本のタイトルは福岡伸一先生の「できそこないの男たち」(光文社新書)。できそこないの男どもが蝟集している場所にろくなところはない。日々の政治のニュースを見ても、それは明らかだろう。午後、札幌駅の近くの高校で先生方に講演を行う。予定時間90分を20分もオーバーしてしまう。聞き手に恵まれて、出来はまずまず。その後の質疑応答も親密な雰囲気のなかで気持ちよく行うことができた。しかし、余韻に浸っている時間はない。4時過ぎになると既に外は暗くなっている。挨拶もそこそこに車に飛び乗り、札幌の駅へ。そして電車で新千歳空港に向かう。残念ながら晩飯を食っている時間がない。あわててふたたび大丸の地下で海鮮丼を買って車内で食べることにする。ビールの銘柄をどうしようかと一瞬迷うが、そんなもの迷う必要はない。ここにはサッポロビールという巨大な地ビールがあるではないか。缶ビールを買い、あたふたと列車に乗り込む。そういえば、空港のどこかに「札幌でもキリン」というポスターが貼ってあったような気がする。海鮮丼のシールを見ると、なんと本店は横浜と書いてある。しかし、そこに載っているイカ、イクラ、カニ、ホタテのレベルの高いこと。見事なものである。講演の余韻が残っているので、ビールを一気のみしてもぜんぜん酔いがまわらない。しかたなくぼんやりと窓外の風景を眺める。一つ前の席には乳児を抱いた、まだ若いお母さんが座っている。通路をはさんで、その左側には、ほとんど中学生ではないかと思われるようなカップルが座っている。そして、二人は一言も話さない。切れ長の目をした男は終始窓ガラスの外を見つめている。その隣で帽子にもバッグにもブーツにも可愛いぼんぼんをつけた女の子は所在なげにぼんやりしている。でもなんだか男の子をきづかっている気配が見える。おそらく男の子がなにか無体なことをしようとして、やんわりと女の子に拒絶されたのではなかろうか。これは私の妄想かもしれないが、なぜかこの地では見知らぬ人々の心のなかが透けて見えるような気がする。なぜだろう。やはり湿気が少ないからだろうか。そのうちに女の子が帽子の横っちょについた毛糸の玉をくるくると手で回しはじめる。隣の席の赤ん坊に見せているのである。赤ん坊はそれを見て、小さな手を伸ばしてくる。二人は手を伸ばしあって、やがて手を握り合う。なかなかいい光景である。その向こうで硬い表情をした男の子がじっと外を見ている(ふりをしている)。やがて赤ん坊と母親は電車を降りる。車内はがらんとしている。そして、列車は新千歳空港に到着する。私は荷物を網棚から降ろし、マフラーを巻き、コートを着込む。すると斜め前の女の子が座ったままの上体を男の子のほうに思いっきり伸ばして、その頬に軽くキスをする。ひょっとするとキスというのとは違うのかもしれない。硬く、ぎこちなく、でもしっかりとくちびるを男の子の頬にぎゅっと押しつける。男の子は相変わらず、無言、無表情。でも、そのこころがあたたかくほぐれかけているのがわかる。電車が止まって、男の子がさっと歩きはじめる。タイミング悪く、私が二人の間にはさまる形になる。あわてて座席に戻って、さっき結んだばかりのマフラーをもういちどほどき、「お先に」とぼんぼんをつけた女の子に目配せをする。女の子は軽く頭を下げて小走りで彼氏の後を追う。そして、男の子の右腕に両手でしっかりとしがみつく。なかなかいい光景である。はじめて来たのになつかしい。札幌の街の印象を要約すると、そういうことになる。恋の街サッポロ。むかし、そういう歌があったっけ。浜口庫之介の歌だ。こいのーまちー、さっぽろー。われながらひどいエンディングである。とほほ。おしまい。