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M17星雲の光と影

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2006.10.30
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カテゴリ:その他
愛国心ということばは、考えてみると不思議な成り立ち方をしている。

まず「愛国」。「愛するという動詞+目的語」の組み合わせでできている熟語というのは、思いのほか少ない。愛という文字が上にくると、「いとおしんで、かわいがって」という意味が下の語にかかる場合が多い。愛育、愛玩、愛護、愛好、愛唱。すべてそうである。

あるいは愛が下にきて、どのように愛するかという意味を表す。博愛、敬愛、慈愛、親愛、友愛、恋愛、などである。

これは何を意味しているかというと、「愛」に関しては、何を愛するかという対象の詮索よりも、愛してどうするのか、どのように愛するのかということのほうが重要だということだろう。そもそも「愛する」という行為自体が、ほとんど目的語のようなものである。何を愛するかなんてたいした問題ではない。それよりも愛を通してどこへたどりつくのか、そもそもどのように愛するのかということのほうがはるかに大切だ。そういうことなのだろう。

しかし、少数ではあるけれども、愛の下に目的語をとることばもないではない。たとえば、愛郷(心)、愛他(主義)。ええっと、その後が続かないな。ああ、「敬天愛人」ということばもあるか。

しかし、これらのことばと「愛国(心)」とは微妙にその意味を異にしている。

愛郷は「郷里を愛する」、愛他は「他者を愛する」、(敬天)愛人は「人を愛する」という意味なのに、愛国は「国を愛する」という意味ではない。

え、愛国は「国を愛する」という意味でいいんじゃないかって。ちがいますよ。国連の加盟国はおそらく現在190ヶ国あまりだったろうか、それらの国々を広く深く愛し、国際平和を祈念するという語義をこのことばがもつのならば同族に入れてもかまわないが、そうではないだろう。愛国とは、いうまでもなく「自国を愛する」という意味である。敬天愛人を、天を敬い、自分を愛すると解釈したのでは、標語にはならなくなる。

「動詞+目的語」というのは、いうまでもなく中国語の語順である。熱烈なる大和民族崇拝の立場を表明することばが、中国語の語順を借りているというのも、考えてみると奇妙なことではある。

さらにいえば、「国」とは近代国家の謂であろう。近代国家というのは合理的な法体系にもとづいて組織された国家制度のことである。これはいわば巨大なマシーンのようなものだ。自生的、自然的になんとなく出来上がったものではなく、意識的、人為的に形成された巨大な機械装置、それが「国」である。

愛国心ということばにおいては、この巨大なマシーンが「愛」と「心」というきわめて情緒的なことばに両側からはさみこまれている。まるでふわふわの食パンの間に金属の塊をはさんだサンドイッチのようなものである。どうにも食欲をそそるとはいいがたい食べ物である。

愛国者ということばも曖昧だ。ナショナリストとかナショナリズムというのならば、少なくとも意味するところは明らかだ。発想の根底に「国家」を据えて、思考し、行動する人間。好いか悪いかはさておき、それがどのような人間を意味するのかは明確にイメージすることができる。

重ねていうが、近代国家というのは理性の産物である。行政も司法も立法も徹頭徹尾、明文化された規約に従って動いている。これと「愛」というぬくもりをたたえたことばを共存させるのはきわめてむずかしい。私はそう思う。

だから、愛国心ということばを聞くと、鉛の板をはさんだサンドイッチをほうばったような違和を感じる。この語における理性と情緒との合体には何か奇妙な感触がある。

現在、愛国心ということばが語られる文脈を見てみると、そのほとんどはいわゆるミーイズム、利己主義の対抗価値として語られているように思える。つまり、「公」意識の代表として愛国心が語られているのである。

しかし、はたしてそれでいいのだろうか。公的なもの、それに国家意識が含まれることには何の異存もない。個人に対立する公的な意識の代表、それが国であるということには何も問題はない。

でも、だからといって「公=国家」という等式は成立するのだろうか。私は成立しないと思う。

たとえば、今、池の面に小石を放り込むところを想像してみよう。小石とは、すなわち「自己」、わたくしである。その石を池のなかにぽーんと放り込む。ぽちゃんという音を立てて、小石は池の中に吸い込まれる。「個」は池の中に没する。その後には何が残るか。

いうまでもなくそこには同心円上の波紋が描かれる。個の周囲には、まずは家族の輪ができるだろう。そして、家族を取り囲む周辺の家々からなる地域社会の輪がその外側に広がる。地域の輪は、区、街、市、県というふうに、階層を描いて、徐々に池の面に広がっていく。そして、ついには「国」というレベルにまで波紋は広がる。

そこで「ストップ!」という号令がかかる。「はい、そこまでー」という叫び声が聞こえる。それが「もっと愛国心を!」というスローガンであろう。なるほど、人間は個の中に自閉してはいけない。それはもっともである。地域社会の区々たるセクショナリズムに止まることがあってもいけない。それもまたもっともである。しかし、その波紋を「国」というレベルで固定し、硬直化させていいものだろうか。私はそうであってはいけないと思う。

波紋をさらに観察すれば、そのゆったりとした波動はやがて国家をも越え、国と国との境界をも曖昧にするところまで広がっていくだろう。それは「公」意識に反するものだろうか。断じて「否」である。論理的必然として、その公的意識はさらに広がりを見せるのが自然である。国家を越えた「公」の意識、われわれはそれを目指さなければならない。

しかし、今日、愛国心を口にする人々は、なぜか、公の波紋が「国」のレベルにまで達したとき、突然、ヒステリックな号令をかけ、その波動を鉄の輪で固定しようとする。「なぜ、そこで止まるのか」という質問に対しては、「公が大事だ」ということを何度も何度も繰り返しつぶやくのみだ。

私は言おう。たしかに公は大事だ。そのことに異存はない。でも、だとしたら、その公の波をさらに広げ、拡大することは大事な仕事ではないのか。愛国心が大事な感情であり、自然な感情だということもよくわかる。しかし、それを認めるならば、全世界に190以上の国がある以上、最低でも190通り以上の愛国心のあり方を認め、尊重することが大事ではないのか。私はそう思うのである。

個に拮抗するために公の意識は大切なものである。しかし、その公の意識をことさら「国」のレベルでとどめることは正当ではない。

もしもわれわれの意識が、個のレベルに逼塞し、国のレベルを失念してしまっているというのならば、国家意識の復活を唱えることにも正当性があると私は思う。

でも果たしてそうだろうか。そこらへんの人と世間話していたら、うっかり日本国籍をもってない人間と友達になって意気投合しちゃったぜい、という経験を有している人間がこの国にはたして何人いるだろうか。この国に住む人々の頭の中には無意識のうちに、いや無意識であるだけに、それだけ強固に国家意識というものが存在しているのではないだろうか。

そのような人々に向かって、あらためて「愛国心」を強いることにどんな意味があるのか。そこには、個の意識を国家というたったひとつの「公」の中に吸収し、からめとり、操作しようという意識が働いているのではないか。

私にはそう思えてならない。

正直にいおう。私が「愛国心」ということばを聞いた時に思い描くイメージ。それは生来虚弱な身体と精神をもったひ弱な青年が、深夜ひとり地下室に置かれた巨大なバイクを抱き締め、そっとほおずりをする姿である。自らの弱さを金属製の物体の中に韜晦し、ひ弱な利己心と自己顕示欲を満足させる姿である。

真に愛国を口にするものがいるとするならば、国を越える「公」をおそれるな、ひるむな。私はそういいたい。国家を超えた「公」意識の価値を十分に認めた上でならば、私は愛国者と、愛国の意義とその限界について、とことん語り合いたいという気持ちをもっている。その気持ちにうそいつわりはない。

愛国心に対する私の所見は以上である。





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Last updated  2006.10.30 20:54:19
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和久希世@ Re:大江健三郎v.s.伊集院光1(03/03) >「彼はこう言いました。「それもそうだ…
kuro@ Re:「チャンドラーのある」人生(08/18) 新しいお話をお待ちしております。
あああ@ Re:大江健三郎v.s.伊集院光2(03/03) 非常に面白かったです。 背筋がぞわぞわし…
クロキ@ Re:大江健三郎v.s.伊集院光2(03/03) 良いお話しをありがとうございます。 泣き…
М17星雲の光と影@ Re[1]:非ジャーナリスト宣言 朝日新聞(02/01) まずしい感想をありがとうございました。 …
映画見直してみると@ Re:大江健三郎v.s.伊集院光1(03/03) 伊集院がトイレでは拳銃を腰にさして準備…
いい話ですね@ Re:大江健三郎v.s.伊集院光1(03/03) 最近たまたま伊丹作品の「マルタイの女」…
山下陽光@ Re:大江健三郎v.s.伊集院光1(03/03) ブログを読んで、 ワクワクがたまらなくな…
ににに@ Re:非ジャーナリスト宣言 朝日新聞(02/01) 文句を言うだけの人っているもんですね ま…
tanabotaturisan@ Re:WILL YOU STILL LOVE ME TOMORROW(07/01) キャロルキングの訳詩ありがとうございま…

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