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M17星雲の光と影

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2007.01.05
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カテゴリ:その他
先日、スポーツライターの小林信也氏がラジオで次のようなことを言っていた。

「人間が、何かの刺激を受けて瞬間的に行動するのに要する時間は約0.2秒。その後、その行動を頭で理解するのに約0.3秒かかる。つまり、刺激から行動までが約0.2秒、刺激から頭による理解までが約0.5秒。この0.3秒の差は大きい」

小林氏は現在のスポーツ界で主流となっている筋力トレーニングに批判的である。筋力トレーニングは徹頭徹尾「こうしたら、こうなる」という理屈の上に成り立っている。そこには未知の要素が突然現れるということがない。このようなトレーニングに頼ってばかりいると、実際の試合で起きる瞬間的な変化にうまく対応できなくなってしまう。彼はその自説の根拠として先の数字を挙げたのである。

私は土曜の朝のラジオでたまにこの人の話を聞くだけだが、その限りではなかなか信用のおけるライターではないかと思う。以前、ボクシングの亀田の試合の翌日(例の疑惑のタイトルマッチよりずいぶん前のことである)に、アナウンサーが彼に「昨日の試合はどうでしたか」と水を向けたことがある。彼は即座に「きたないものの話はしたくない。ここはTBSだからこんなこというと降ろされちゃうかもしれないけど、日本のスポーツ界のいちばんきたない部分があそこには集約的に表れている。だから一言も話したくない」と言って、別の話題について語った。なかなか気骨のあるライターだと思い、それ以来注目している。

冒頭の話に戻ろう。刺激から行動まで0.2秒、刺激から頭による理解までが0.5秒。この間にある0.3秒はいったい何を意味しているのだろうか。

人間は無意識のうちに0.5秒間行動する。この間は「体が勝手に動いている」状態である。その行動を後から「思考」がフォローする。この説明はわれわれの生活実感にもうまく符合するように思える。

もちろん、だからといって、スポーツに「思考」が必要ないというのではない。むしろ逆である。スポーツのアスリートは反射神経、刺激受容のすばやさにおいては超エリートの集まりである。そこでは反射的な行動に至る0.2秒を0.19秒、0.18秒へと限りなく短縮する試みがたえず行われている。しかし、この時短競争には自ずから限界がある。そこで視点を切り替え、むしろないがしろにされている「考える」要素を取り入れて、「刺激→行動→思考→次なる行動への模索→刺激→行動」というフィードバック回路を形成する。そのことによって、彼は他の選手より上位の成績を手に入れ、長い選手寿命を保つことができるようになる。

私の高校時代の愛読書に、ドン・ブレイザーの「シンキング・ベースボール」がある。野村のIT野球などといわれるが、あのネタのほとんどはこの本の中にある。彼は徹底的に野球を考え、それを実践的な行動に移そうと試みたインテリジェンスあふれる選手であり、指導者だった。その中でも印象的だったのは、1塁ランナーが2塁に盗塁を試みる際に、相手のグラブに入っているボールをどうすれば足でうまく蹴り出すことができるかを事細かに教授している部分だった。彼における「思考」とは一言で言うと、情熱を示すための手段である。「闘争心なきものは去れ」というのが彼の野球哲学の根本であり、そのスピリッツをグラウンド上で体現するためには徹底的に合理的に考え、行動しなければならない。そういう意味での「シンキング・ベールボール」なのである。彼は敏捷な条件反射にもとづく個々の点としてのプレーを、「思考」という線でつなぐことで、持続的で連続的な運動理論を作ろうとしたのではないかと思う。

これとは逆に、いわゆる「考える」世界の住人にとっては、その対極にある条件反射の要素を取り入れることが重要になってくる。

たとえば学者の世界。これは「考える」世界である。ある行動が終息した後、「えっと、今の行動が意味するのはね」とあとづけの理屈を考えるのが彼らの仕事である。だから、未来予測などを彼らに期待するのは、はなからおかど違いなのである。

しかし、この世界の住人のうち、きわめて限られた人間だけが、一瞬にして事象の奥に潜むメッセージを読みとり、それに条件反射的に対応することができる。そのような能力の持ち主であるかどうかを見きわめる手がかりのひとつは、「彼が文章を書けるかどうか」にある。

しばしば誤解されがちなことだが、「学者だから文章が書けるだろう」と思うのは早計である。文章とは少なくともそれが書き始められる時点では「条件反射」の世界である。けっして純然たる思索の世界ではなく、論理よりもむしろ感覚優位の世界である。実際に文章を書いてみれば、そのことは説明するまでもないことなのだが、「読む」だけの立場の人にはなかなかこのことが理解しづらいようである。

だから、「学者で文章が書ける」というのは稀有な例外と考えるべきなのである。それはおそらく瞬間的に正しく判断した後に、その判断の意味を事後的に細密に検証する能力をもった人間、そういう人だけが、学者と文筆家という相異なる職域を兼ねることができるのである。「教師」も同列だ。一般的にいって「教師は文章が書けない」と思ったほうがいい。彼らの表現手段は、主に発声器官であり、肉体言語であって、優秀な教師に例外なく備わっているのは生徒に対する「観察眼」である。いずれも文章力にそのまま直結するものではない。

ここで私は将棋の棋士のことを思う。朝の10時から夜、深更に至るまで盤前に正座し、次の指し手を延々と考えつづける。最終盤で頭をフル回転させる彼らの髪をそっとかき分けると、その頭皮は真っ赤に充血しているそうである。これもまた徹底的に「考える」世界である。しかし、彼らをテレビで見ていて、「ああ、私たちとは違う世界の住人だな」と感じるのは、彼らの思考力の抜群の高さではない。そんなものはテレビで眺めていてもわからない。むしろ難解きわまりない局面で、高段のプロ棋士が口にする「ここはひとめ○○ですね」という言葉に私は彼らの卓越した能力を見る。このことばが意味するのは、根拠なんて必要ない、考えるまでもない、とにかくここはこうだろう、これしかないだろう、ということである。しかし、素人にはなぜ考えるまでもなくその手なのかがさっぱりわからない。彼らはきわめて高度な実戦経験の積み重ねを通して、自分を勝ちに導き、負けに導かない指し手を瞬時に直感的に察知できるのである。徹底的に0.5秒の世界、考える世界であるからこそ、逆に0.2秒の世界、感じる世界が大きな意味をもつということがここでもいえるように思う。

一般的にいって人間を誤謬に導くものは、「考えない」ことよりも、むしろ「考える」ことのほうが多いように思える。多くの場合、人間は「考える」からこそまちがえるのである。だから、正しく感じ、正しく反射することをこそわれわれは日頃から心がけなければならない。正しく感じ、正しく(というのはひとりでに)その状況に応じた行動をとれる反射力を磨いて、はじめてその0.3秒後に訪れる思考の時間が意義あるものとなる。

私は理想の文章を夢想してみる。まずイメージが存在する。そのイメージは正しい直感力を背景にして、ムダのないセンテンスを作り出す。そのセンテンスはまるで事象に深い点をうがつように、的確で核心をついた表現となる。その点が次々と打たれていった後に、それらは自ずからなる線を描き、ある形へと造型されていく。この線を一定の枠内に収めることによって論理的に堅固なブロックが作られる。パラグラフの誕生である。そして、そのブロックはさらに大きな流れを形作るひとつの要素として全体の大きな構図の中に組み込まれる。このような力仕事には、敏捷な反射神経よりも、引き締まった筋力と胆力、それに持続力が必要になる。0.2秒の世界と0.5秒の世界がそこで融合する。そのようにして描き出された文章は、しかし、ほとんど時間を超えた力をもつはずである。

しかし、そういう文章は、私には気の遠くなるような彼方に存在するもののように思える。

0.2秒と0.5秒の間にある0.3秒の狭間には、あるいは目のくらむような深淵が横たわっているのかもしれない。









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Last updated  2007.01.05 19:46:05
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和久希世@ Re:大江健三郎v.s.伊集院光1(03/03) >「彼はこう言いました。「それもそうだ…
kuro@ Re:「チャンドラーのある」人生(08/18) 新しいお話をお待ちしております。
あああ@ Re:大江健三郎v.s.伊集院光2(03/03) 非常に面白かったです。 背筋がぞわぞわし…
クロキ@ Re:大江健三郎v.s.伊集院光2(03/03) 良いお話しをありがとうございます。 泣き…
М17星雲の光と影@ Re[1]:非ジャーナリスト宣言 朝日新聞(02/01) まずしい感想をありがとうございました。 …
映画見直してみると@ Re:大江健三郎v.s.伊集院光1(03/03) 伊集院がトイレでは拳銃を腰にさして準備…
いい話ですね@ Re:大江健三郎v.s.伊集院光1(03/03) 最近たまたま伊丹作品の「マルタイの女」…
山下陽光@ Re:大江健三郎v.s.伊集院光1(03/03) ブログを読んで、 ワクワクがたまらなくな…
ににに@ Re:非ジャーナリスト宣言 朝日新聞(02/01) 文句を言うだけの人っているもんですね ま…
tanabotaturisan@ Re:WILL YOU STILL LOVE ME TOMORROW(07/01) キャロルキングの訳詩ありがとうございま…

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