易老岳・光岳 その1
高校2年の夏になってクラブ活動に一区切りをつけ受験準備に入るという息子と一緒に、体力と気力のあるうちに一度行きたいと思っていた光(テカリ)岳(2,591m)に登ることにした。日本最南端の這い松自生地、同じく最南端の2,500m峰、何よりも登りにくい赤石連峰の最南端の高峰である。1週間くらい前から天気図を睨め、仕事を調整して、お盆の入りの今日から休みをもらった。 前日、学生時代から20年は愛用しているだろう60リットルのLoweAlpineのザックにザックに荷物を押し込んでいると肝心のハーネス部分が壊れてしまった。よくみると息子に担がせるつもりの30リットルのカリマーの肩あての部分も少し怪しい。とりあえず近くのスポーツ店に駆けつけ、物色してみると50リットル以上のザックがない。そればかりか学生時代10万円近くしたLoweAlpineやミレーが2万円前後で売っているのには愕然とした。パソコンも出始めは何十万円もしたモノが、今では1万にも満たないのでガックリすることも多いが、山道具は特に学生の金のない時代に、やりくりして買った物が多いだけにショックも大きい。 ともかくも2~3泊は耐えられそうな45リットルのミレーを購入、少し心配なカリマー30リットルと荷物を分散して詰め込んだ。最初はテントも2張り持っていくつもりだったが、ダンロップの2~3人用1張りで我慢することにした。 早朝4時30分に自宅を出て、易老渡を目指す。 深田久弥の「日本百名山」(新潮社版・昭和39年7月刊)によれば、「もう三十年も前の夏、私が友人と二人で、二人の人夫を連れて光岳へ行った時には、まだ寸又川からの道はなかった。私たちは遠山川の下栗を発って、最初の晩は易老渡に幕営、次の日道らしくもない道をわけて易老岳に登り、その夜は、易老と光の鞍部の三吉小屋跡と呼ぶ林間の空地にテントを張って寝た」とあり、易老渡に入るまでに2日かかっているが、我々は途中、コンビニで、野菜ジュースやにぎりめしを購入しても自動車で2時間で易老渡に着いた。 易老渡から易老岳まで5時間、光岳まで7時間半の表示板があった。吊り橋の袂のポストに登山計画書を放り込んで、さぁ出発だ! 易老渡 06:30発、途中でバテても15:00頃には小屋に着くだろう、甚だおおざっぱな計画だ。それにしても易老岳まではひたすら登りの5時間だが、体力・気力は持つだろうか? 面平に 08:00 到着。意外にいいペースだが、山登りは後半に行くほどつらい。それでも、息子がいたせいか、さほどバテもせず、易老岳 11:00 に到着した。ここまでくれば、あとはなんとかなる、と思ったのが甘かった。ゴーロの沢でバテて10分ほど眠ったので、光小屋 13:34 であった。それでも予定より早く着いたので一安心。テントを張って一休みしてから、光岳山頂(15分)に向かった。 光岳の語源となった光石(夕方、里から、照り輝いてみえるという尾根の巨石)が展望台から見られた。明日、行くイザルヶ岳もくっきり見えた。