10回目の311を思う
10回目の3月11日は新型コロナウイルスとの戦いという中で迎えることになりました。
7年目の日記を振り返ってみると、思いはあまり変わっていないことに気付かされました。
被災者や被災地と呼ばれたくない人
被災地や被災者と呼ばれることで必死で人生に向き合ってる人
311は区切りじゃなく続いている日々の一日にすぎないと語る人
311は亡くなられた大切な人を思うための区切りにしている人
福島はフクシマじゃない、と叫ぶ人
あえてフクシマと呼ぶことで闘ってる人
ならばいっそ福島弁訛りでふぐすまと呼べという人
原発反対と叫ぶ人
原発は国を守るために必要だと語る人
この10年で色んな人のいろんな考えに触れ、
そこにたったひとつの正解なんてないというところにやっとたどり着きました。
あれだけの大災害。
そんな中で多くの人は必死に答えを探していました。
でも答えはきっと人の思いの数だけ存在する。
無理に一つにまとめなくてもいいしまとめられるわけもない。
だからこれからは、相反する考えや意見も許容していこうと思う。
10回目の311.
静かに過ごそうと思います。