テーマ:今日はこんな日(956)
カテゴリ:里山・歳時記
今日は僕が住んでいる鍛治屋町の「塩見」姓が集まる
「株講(かぶこう)」「先祖講(せんぞうこう)」の日。 80戸のうち、一番多いのは「山下」姓で半数、塩見姓は15戸ほどあり、 あとは「高倉」と「植田」でほぼ95%。 年末、持ち回り(現7軒)で1軒のお家にお昼前にうかがい、 ごはんをいただきながら、夕方まで話します。 日記メイト塩見さんの「半農半X的生活」を読んで、ピンとくるものがありました。 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 11月23日から24日にかけての祭もまた大きな意義があった。 かつてはこの祭を大々的に行ったものであった。 今も各地に「二十三夜」、あるいは「二十三夜待」と彫った石塔が見られるのは、その名残である。 日待ちに対する月待ちの行事で、「三夜待」あるいは「三夜供養」というところもある。 それに参加する人々の集団は、「二十三夜講」などと呼ばれている。 (略) 23日という日を選んだのは、陰暦では月の形がちょうど半分になるからである。 大師講は各月の23日であるが、その中でもっとも重要な日が霜月の二十三夜といわれている。 実はこの日と新嘗祭がもとは同じであったのである。 「民具の歳時記」<河出書房新書> ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ これだ!! 霜月は11月だけれど、この場合、3月3日の雛祭りを4月3日にするように月遅れのためではないだろうか。 この日は「二十三夜」ではないけれど、日曜日の前の日で集まりやすいということではないか。 「謎は解けた!! 『二十三夜講』はこのように、日を変えて生き残っていた・・・。」と私は、謎を解いた金田一少年のように呟くのであった。 ◎自然と人間が仲良く暮らしていたころの話です。 ★12月22日*松迎え* UP お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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