テーマ:愛しき人へ(908)
カテゴリ:父の麦わら帽子
私の子どもの頃、現金収入を得るためにうちでは母が時々、働きに出ていた。
うちの家の前の■ふーちゃん■も母と同じく働きにいく主婦だ。 二人は、早朝に家を出て、■レンガ工場■に行った。 「自転車で風をきって行ったら、手が冷とうなってな・・・。 どうしても途中で焚火にあたらにゃぁいけん。」と母は、言っていた。 続いて母は言った。 「ふうちゃんの自転車にゃぁ、ハンドルカバーがついとるから、いいんじゃあ。 私の自転車にゃぁ、ハンドルカバーがついてないもん。」 いつも陽気で明るい母も、あまりの朝の寒さについ泣き言を言ったのだった。 ハンドルカバーは、自転車のハンドルに覆いをして防寒対策としたものだ。 昔はあったものに、最近、防寒のための自転車のハンドルカバーを見ない。 母は、自転車のハンドルカバーがどんなに欲しかったことだろう。 しかし、自分の働いたお金は、私たち子どもの食べ物と学校の費用に消えた。 ハンドルカバーどころか、自転車も伯父の家から借りているものだった。 私が子どもの頃の冬は今よりももっと寒かったような気がする。 暖房といえば、炬燵と火鉢くらいだし、着るものも今のようにコートやフードなども、私の周りにはなかった。 母は懸命に働きに行き、ほんの少しだが、お金を稼いだ。 父は、せっせと木を伐りに行き、薪を作った。 そのおかげで私は、心豊かな子ども時代を過ごすことができた。 にほんブログ村 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
maki5417さん
>私は高校生の時は、3年間下駄で通っていました。 >雨や雪の時もです。 >靴下もはいたことがなかったです。 > >なぜ? >答えは、登山部員だったからです。 ----- これを書いたのは、2月の寒い日でした。 今、真夏のニュージーランドに いるので変な感じです。 冬に裸足とは スゴイ。 (2017.02.26 13:41:35) |
|