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カテゴリ:とほほ日記
20年来のお付き合いの友達のお母様の告別式に参列してきました。
不思議なご縁を感じたのですが、1月25日は私の母の命日。 告別式の間どうしても母のことを思い出していました。 母が亡くなった14年前のこの日も大雪の寒い日でした。 喘息持ちだった母は前日から発作がひどく、横になることができなかったのでしょう。 壁に寄り掛かった姿勢のまま冷たくなっていました。享年63歳でした。 母が亡くなるちょうど1か月前に祖母が93歳で亡くなったばかり。 祖母は6人の子供の中で一番体が弱かった母をいつも気にかけていてくれました。 母が少し連絡をしないでいると 『また入院でもしているのではないか?』と家に電話をくれる優しい祖母でした。 その時の母は母親を亡くした悲しみに打ちひしがれて、食事ものどを通らないほどでした。 『私もお母ちゃんについていきたい』と涙する母の姿を見ていられなくて 『おばあちゃんは大往生だったんだからいつまでも悲しんでいてもしょうがないでしょ? もういいかげん元気出して!』 母親を亡くした辛さを知らなかった私は、今思うと母に本当にひどいことを言ってしまいました。 母を亡くした悲しみを知っている今ならもっと母の気持ちに寄り添った優しい言葉をかけてあげられたのに。 『お母さんがいなくなって辛いね。もっと泣いてもイイよ。泣きたいだけ泣いてイイよ。』 結局祖母の49日法要を待たずに天国の祖母のもとへ旅立ってしまった母。 まだ最近49日法要の件で母と電話したばかりだったのにと言っていた伯父や叔母も 『母ちゃんはいつも鎚ちゃんのことを心配してたから迎えに来たんだろうなぁ。』 と言っていました。 遺影の母は優しく微笑んでいます。 天国では喘息の苦しみから解放されて、父と喧嘩することもなく おそらく大好きだった母親を独り占めして楽しんでいるのでしょう。 父が体調不良で『あっちに行きたい』と弱音を吐いたときにかかってきた不思議な電話は 母が『もうちょっとだけ自由にさせて』とかけてきてくれた電話のような気がするのです。 親孝行できなかった娘だけど、週末には孫を連れてお墓参りに行くからね。 父にはそっちに行くのをもうちょっと後にしてもらうからね。 おばあちゃんと二人で私たちのこと見守っていてね。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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