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京都は古より呉服の集散地。
財閥となった問屋さんまでありました。 呉服の小売屋さんからデパートに成長したお店も。 着物と言えば京都。 生産に関与する職人さんも群を抜いて大勢いらっしゃいます。 京都の街を肩を切って歩いていたのは問屋さんの社員でした。 夜の祇園も室町問屋さんの社交場でした。 あちこちで出くわした人達が「まいど」「まいど」と挨拶する姿があったのです。 そんな京都の呉服問屋の形態が変り始めたのは十年程前から。 問屋のビルがマンションに変貌、何時も糞詰まりの渋滞であった室町通は今はすいすい。 それでも一定以上の問屋さんが存在はしていたのです。 ここへ来て新たな地鳴りが生じてきました。 名前は伏せますが、製造卸問屋さんの名店数店がニッチもサッチも立ち行かなくなった様子。 聞いたときは信じられませんでした。 それほどのお店だったのです。 やはり、それぞれ何年も赤字続きだったとか。 ある店は廃業、ある店は小さなビルに移転、ある店は資金繰りに詰まってお手上げ状態。 室町問屋さんへ卸す製造卸問屋さんは体質的に室町問屋さんより強いと言われていたのです。 勿論室町問屋さんも廃業縮小が続いています。 製造卸問屋さんの下には大勢の悉皆屋と職人がいます。 これが路頭に迷う事に。 失われる伝統技術は復活が困難。 それぞれ結構高齢の方が多いのですが、再就職は難しいですね。 お金の有り余った方はどんどん小売屋さんで着物を買って下さい。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
呉服産業の苦しさは、外からでも、良く見てとれます。
私は大島紬の「既に織れる人が居なくなって(=新製品は生まれない)小中柄」が大好きで、その中でも特に好きな特定の数柄を集めていますが、中古呉服の流通業界に於いてもその単価の下落は激しいです(数年で1/2とか1/3の世界)。 遺品を引き取る際に、箪笥1棹@ぎっしりを1万円とかで買い敲き、それを転売することで暴利を貪っていた中古呉服屋ですが、デフレと需要減に追い立てられています。 経済学の原理では、会社の寿命は30年で、巨大な企業の更生管財人は、不要な財産を売り適正規模にしてから選択と集中...というのがセオリーなのですが、どこが適正規模なんでしょうかね? かつて15行あった都銀は3行に減りました(海外業務から撤退させられた「りそな」を地銀と見る場合)。業界内で3位までしか利益が出ないという説もあったように、製造卸問屋さんも3軒くらいしか生き延びれられないのかもしれません。室町(京都)で3軒なのか、全国で3軒なのかで、えらい違ってきますけどね。 (2011年02月12日 05時05分13秒)
ocelotさん、今晩は。
お元気でしたか。 消費者の方で呉服産業の苦しさがお分かりになるとは、さすがに通と言うか業界に深い繋がりをお持ちなのが良く分かります。 仰る通り大島紬を織る織り子さんが激減しているのは事実です。 ご存知かも知れませんが、大島専門の問屋をやっているふっきゃらくんや、大島の伝統工芸師の仁佐衛門さんは懇意にさせてもらっています。 彼らから良く話を聞いているので、深刻な事だと思っています。 しかし、彼らならocelotさんの希望される大島を手当出来るかも知れません。 古着屋さんは儲けていましたね。 先日お会いした元古着屋さんも昔は儲けたと言っていました。 安物を天神さんや弘法さんに持って行き売り倒したと言っていました。 もう、前程売れなくて、仕入れる良い物が無くなって止めたそうです。 京都の製造卸問屋は三軒くらいになってしまうかも知れませんね。 昔有力だった大手は殆ど倒産か廃業又は縮小、ひょっとしたら壊滅する事も有り得ます。 伝統産業や和菓子の世界で、それにはまり込んだ素人が職人さんに直接注文して、出来上がった作品を販売する事が見られる様になってきました。 販売するビルを建てた人も。 着物でもそんな人が現れてきました。 ocelotさんも挑戦しませんか。 (2011年02月12日 20時50分12秒)
集めているのは、鹿児島ものではなく、奄美ものです。鹿児島ものなら、奄美ものよりも糸が細いので、小中柄も織れるのですが、風合いが違うんです。
ふっきゃらくんちは喜界島の出身でしたよね。喜界島は昔から龍郷の下請けをやっている地区で、龍郷男物の産地です。でも、もう、喜界島でこの柄を織れる人はいません。喜界島の麓さんのところが数年前に復活させ、その復活物は購入しました。でも、昔のとは技の細かさが違うんですよね~。 今、奄美の年配の織り子さんは、年金を満額もらうために織るのを辞め、ゲートボールと温泉と宴会の生活です。一部に「先生」として若い人を教えている人も居ますが、割り込みものである小中柄を織れる技術を持っている人なら、12マルキの総絣を織りますね。値段が10倍は違うのです。宝くじに当たったら、そういう織り子さんを指名して、12マルキ総絣の値段で、小中柄を織って欲しいですが、それまでは、ネットを見張って、年に1~2品は出品されるのを買い貯めています。大島ですから、洗い張りを繰り返した物の方が肌触りが良くなりますから、新品の反物を購入する必要性もそんなにはないのです。 (2011年02月13日 15時41分36秒)
ocelotさん、今晩は。
何と言う物知り!! 大島の事ならocelotさんに聞け!ですね。 鹿児島産の方が糸が細いが奄美の方が好き。 ふっきゃらくんが喜界島の出身で、喜界島は昔から龍郷の下請けをやって、龍郷男物の産地。 しかし、喜界島で龍郷を織れる人が消滅。 喜界島の麓さんが数年前に復活させたが、昔のとは技の細かさが違う。 ocelotさんは恐ろしい人ですね。 何とまあ驚きました。 大島は古着で洗い張りしたものが良いと仰ってますね。 男物の大島を一着しか持っていないので、その辺りが経験不足で理解出来ませんが。 さもありなんです。 12マルキは絣が小さ過ぎて離れて見ると、型友禅に見えてしまいます。 大島だけは絣のマルキの具合で価格が決まってしまう切手の様だと聞いた事があります。 多少はそんな事があるかも知れませんが、大島は図案、糸を締める人、糸を染める人、織り子さんなど沢山の人の技術の結晶ですね。 それぞれの名前が証紙に入っていました。 その技術の差でこそ、価格決定の条件だと思うのですが。 宝くじが当たったら是非小柄の12マルキ大島を別注して下さい。 疲弊した大島に朗報となるでしょう。 奄美から絣の白大島にペルセウスとペガサスの柄を訪問着で染めてくれと依頼されています。 ペガサスだけの柄だったのが物語性を出す為にギリシャ神話をテーマにしましたが、さすがにメドゥーサは使えませんでした。 どんな風に染めるか楽しみです。 (2011年02月13日 22時37分20秒)
何気に人様のブログ内にて登場しております「ルーツが喜界島」のふっきゃらくんです。
仰せの通り室町を拠点にした所謂「呉服業界」は、益々縮小傾向ですよね。よくよく考えますと、製造も、卸も販売も「家内」工業が当たり前の業界なんじゃないんでしょうか。そこに商社の論理が入り込んできて、結果こうなっているような・・・。専門性が強く、極端に規模の小さい所謂「専門問屋」はがんばっていると聞きます。 otyukunさんブログにもちょくちょく登場されるのは「本当に」着物が好きな方々。この様な方々は意外と増えているんではないでしょうか。 考え方次第では「良い方に向かう」ような気がします。 (8割願望ですが・・・) (2011年02月14日 21時57分44秒)
ふっきゃらくん、今晩は。
返事が遅くなりごめんなさい。 勝手に名前が出てしまい申し訳ありません。 それにしてもocelotさんは凄い人でしょう。 昨日工房に来られた仁佐衛門こと原さんもocelotさんの見識を驚かれていました。 問屋が必要性が無いのに大きなビルを建てたのが間違いの元ですね。 専門性の高い、規模の小さい専門問屋でいるべきだったのです。 何処で買っても同じものでは潰れるしかありません。 結局小売屋さんの足腰を弱めて潰したのは巨大な問屋。 早く消滅すべきです。 着物好きな方は結構居られます。 信頼の置ける店が存在しないのが問題。 いい店を必死で探して居られるのが実態です。 ここにありますよと手を挙げているのですが。 (2011年02月17日 21時50分08秒)
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(2013年07月26日 21時03分13秒)
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