「忘れえぬ人々」 トルコ編
「忘れえぬ人々」同名の国木田独歩の名作がある。「決して、親しく交わった人のことではない。人生の途中でたまたま出会い、その生き様を垣間見た人々。さびしい一人旅の船から見た、瀬戸の磯で黙々と海草を採っていた老人。尾道の雑踏を尺八の音とともに過ぎた虚無僧。」といった簡潔な名文で綴られている。 永遠に変わらぬ独自の姿で、悠久の天地をともに生きていくと思われる人々。ほんのの10数分、絵を描いている間に会っただけなのに、今でも気になる「忘れえぬ人々」がいる。スペイン編は、スペインの忘れえぬ人々に書いた。今回は、「忘れえぬ人々」 トルコ編トルコは、とらえようのない不思議な国。ギリシャ詩人ホメロスの叙事詩のトロイの遺跡も、古代ローマ人が世界中から運んだ大理石で築いた、壮大な古代都市エフェソスも、トルコのエーゲ海沿岸にある。したがって、人々の顔も多様で、変化に富んでいた。決して,万里の長城の北の蛮族「匈奴」の子孫と言われる騎馬民族トルコ人のみの国ではない。カッパドキアは、イスラムの迫害を怖れて岩に穴を開けて千人以上住んでいたキリスト教徒の居住都市。荒涼とした岩の町で「駱駝に乗りませんか」と声をかけたおばさんたちはなんとなく砂漠の民の風貌。熱い夏のトルコ。でも洞窟の中のレストランは、涼しい。ウエイターは、珍しく青い眼の若者。描かれる3分ほどを、直立不動でほほえんでいた。夏のある日、バルカン半島から霞の彼方の対岸へ海峡を船で渡った。かってアレクサンダー大王は、この海峡を皮袋を並べて渡ったという。しかし、どう考えても無理な広大な海峡。海峡を渡る船上で、可愛い娘が甲板を飛び回っていた。チャナックルの港は、バルカン半島に面する軍事基地。群青のダーダネルス海峡に別荘がならぶ美しい街でもあった。海沿いの館で音楽が聞こえ、にぎやかなパーティが開かれていた。ひとり、音楽に誘われて、屋外のテーブルに座ると、隣の席の、家族連れの中に、こんなローマの末裔のような美しい乙女がいた。トルコを旅すると必ず絨毯屋に連れていかれる。みなが絨毯を買っている間、私はそこの人々を描いた。これは、ジンギスカーン氏。末裔だと自慢してたけど・・・。他の国では、ジンギスカンに似てるねと言って、「とんでもない」と叱られた。征服された民族から見ると、残虐無比の恐ろしい王となる。トルコの若者は、とても涼しい眼のいい顔をしている。どこでもそうだけど、織物の織り子の給料はとても安い。日本の大島紬を織っていた娘に聞いたら、一日8千円!この絨毯屋の娘たちも薄給だったけど、眼は優しく表情はさわやかだった。さて、こんな旅先での似顔絵描きは、異国の人々と交流するのに、とても良い手段です。南信州の天龍村で、12月23日に描き方を指導します。詳細は、前日の日記を参照ください。近くの方は、ぜひお立ち寄り下さい。最後に、シンガポール航空のスチワーデス。デザイン・アート部門のプログランキング参加中。クリックして応援してくださいね。