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「細部」には主題が宿る「細部」とそうでない「細部」があります。そしてあなた方の小説がしばしば欠いているのは「主題の宿る細部」なのです。(257ページより)
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著者・編者 | 大塚英志=著 |
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出版情報 | 講談社 |
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出版年月 | 2003年02月発行 |
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著者は『多重人格探偵サイコ』でお馴染みの大塚英志さん。キャラクター小説を「スニーカー文庫のような小説」と呼び、それはフィクションのフィクションであると定義する。すなわち、「『スニーカー文庫のような小説』とは以下のように定義されます。
1)自然主義的リアリズムによる小説ではなく、アニメやコミックのような全く別種の原理の上に成立している。
2)『作者の反映としての私』は存在せず、『キャラクター』という生身ではないものの中に『私』が宿っている。
」(28 ページ)――
本書を読んだのは、「スニーカー文庫のような小説=キャラクター小説=ライトノベル(ラノベ)」の中に、どうしても読了できないものが何冊か出てきたためである。いわゆる純文学は、それが難解であっても我慢して読み終わらせることができる。ところが、それもできないラノベがある。
本書を読んで気づいた。
ラノベにおいては「『世界観』とは読者がキャラクターの目を通じて『観』る『世界』でなくては」(221 ページ)ならないのだが、べつに主人公でなくてもいいのだが、登場人物の中に自分を投影できないラノベを、私は最後まで読み切ることができなかった。
「『世界観』の細部に『テーマ』という神を宿らせなくては」(257 ページ)いけないのだが、そのテーマを読み切ることができないため、私は読書を放棄したのだ。
このように、本書はラノベの書き方について、少々厳しい視点をもった入門書になっている。
冒頭で述べたように、ラノベは既存のコミック、アニメ、ゲームをインスパイアして作られる。これは、いわゆるパクりではないと著者は主張する。
既存のキャラクターを「『7 つの顔を持つ探偵』であるとか『頭がスケルトンの男』といった程度のキャラクターの固有性が消滅するレベルにまで抽象化します。その上で、そこに改めて元ネタとは全く異なる外見や性別や名前や時代背景を与えてあげれば」(54 ページ)、まったくのオリジナル・キャラクターgできあがるという。
手塚治虫もそうしていたし、古来、和歌や連歌にもそうしたパターンがあった。それがなくなったのは明治期の自然文学運動によるものという。
ラノベの組み立てには、『ロードス島戦記』がそうであったように、TRPG(テーブル・ロール・プレイング・ゲーム)の手法が有効だという。
つまり、「3 つの異なる立場」(181 ページ)で組み立てることが必要で、それは「世界観及びルールを作るゲームデザイナー、その中で成立する具体的な 1 本 1 本のお話を管理するゲームマスター、ゲームマスターにリードされて役割を演じるキャラクターたちの 3 つ」だ。
ゲームデザインに重点を起きすぎてはいけない。読者がキャラクターになりきることができるように、キャラクターにカメラを持たせるようにして書くのがいいという。また、キャラクターに目的探しをさせると、生き生きしてくるとも。
最終的にはゲームマスターがおもしろさを決める。面白い話のパターンは昔話に求めるといいとアドバイスしている。民話や神話のズレた世界観というのは、読者がキャラクターの目を通してみた世界だからズレて見えるという。
最後に著者はこう指摘する――「そしてあなた方の小説がしばしば欠いているのは『主題の宿る細部』なのです」(257 ページ)。