|
カテゴリ:過去ログ
呉善花女史の講義を基にして、私の脳ミソを通過して展開させたいと思います。
◇ 近くて遠い国 「近くて遠い国」南北朝鮮と日本は、距離も人種的にも、とっても近いのになかなか理解ができない。特に、韓国は民主主義国家であり、共通の陣営にありながらも犬猿の仲である。 何故なんだろう。 韓国人は言う。過去を清算し、謝罪しろと。謝罪が足りないからうまくいかないのだと。 素直に謝罪を繰り返してきた日本人は思う。「しつこい」と。(笑) そもそも、韓国と日本は戦争をしていない。国際法に法り、欧米に認められた併合であって、侵略もしていない。西欧の植民地政策とは違って、予算を莫大につぎ込んで同化政策を取っていた。謝罪する理由も無かったのである。 ところが、一緒に戦っていたはずの朝鮮人は、日本の敗戦と同時に「反日」に転じた。 同じ立場であった台湾は、今でも日本を懐かしく想う「親日国」である。 いったいこの違いは、どこから来るものなのだろうか。何故、韓国人は日本人を目の仇にするのだろう。 この違いが、国家レベルだけのものであれば、民間の交流だけで簡単に解決したであろうが、交流が進めば進むほどに、もつれてゆくのだから摩訶不思議である。 さて、そのもつれた糸を解いてみたい。女史の体験を通して。 まず、お互いの理解を大きく邪魔する素地として「民族的な近さ」を、女史は挙げている。似ている顔立ちが邪魔をして、他民族であることの前提が薄らぎ、互いの感覚の違いを、民族の違いとして認めにくくしているという。 女史の言葉を借りると「似ている90%が大きすぎるために、似ていないわずか10%が見えてこない、だからついつい、同じ感覚を持っている民族であると<錯覚>してしまい、少しでも違う部分があると、許せない気持ちになってしまう」というのです。 ならば、この「問題の10%」の違いを検証してみましょう。 ◇ 女史が日本を理解していったプロセス 来日1年目は好印象、2~3年目で地獄へ突き落とされ、5年を過ぎると違いが見えてくる。 反日教育を受けて育った女史が、来日した最初の1年は逆の意味でショックを受ける。日本人こそが人間らしい人間ではないかと感動する。言葉では表せないが、そこはかとない日本の魅力を感じるのである。 どこへ行っても優しく親切な日本人、清潔で整然とした町並み、治安が良く安全な社会。韓国で教えられた日本人像は、どこにもない。 そうして、日本人への警戒心が解けてゆき、親しい友人ができる頃、一歩踏み込んだつき合いをしようとするたびに日本人から冷たくされて悩むのである。それは、どの日本人にも感じることで、相当苦しんだという。滞在2~3年の頃である。 では、どんなことなのか。 いつも授業では隣りに座り、一緒に食事をし、トイレにさえも一緒に行くほど仲良くなった女友達に、腕を組もうとするとスルリとかわされるのである。韓国では、親しい友人と手をつないだり腕を組むのは自然なことなので、(もしや嫌われているのでは)と思ってしまう。 消しゴムの貸し借りにしても、日本人はいちいち「貸してね」と言い「ありがとう」と言う。韓国では、親しい友人なら勝手に断りもなしに使い「ありがとう」も言わないのが流儀なので、どうにもこれが冷たく感じてしまうのだ。 日本人は「親しき仲にも礼儀あり」といい、適当な距離をおいてつき合うことを良しとするのだが、後にこのことを知るも、すでにその嫌悪感は他の習慣の違いにまで及んでしまっていた。 例えば、食事の作法の違い。 日本人は、茶碗を手に持って食べるが、韓国でのそれは、非常にお行儀の悪いこと。何より理解できないのが、お茶漬けだ。「ご飯でもないお粥でもない中途半端なものを食べるなんて、これほど縁起の悪いものはないんですね」しかもスプーンで食べればスムーズなものを、わざわざ箸で食べ、最後には茶碗に口をつけて呑んでいる、これが実に気持ち悪い。 ※韓国の食事の作法・習慣 ・咬む音をたてる(おいしく頂いているという意味) ・左手はひざに置き、茶碗は手に持たず、右手だけで箸・スプーンで食べる ・一品ずつ出して、とり皿は使わない(箸で直接取って、汁が落ちても気にしない) ・料理は混ぜるほどおいしくなる(素材の多少の傷みは気にしない) なんて可愛いんでしょうね、この悩みようは。(笑) 女史は日本人の感覚が全く理解できず、「同じ人間なのに・・」と学校へ行くのも苦痛なほどに落ち込み、窮屈な日本から早く逃げ出したいと何度も思ったそうです。 しかし、このような目に見える違いは大したことではなく、時間が解決するものだ。そのうちに韓国人も、手にお茶碗を持って食べるようになる。問題の本質は「見えないところ」にあり、見えない価値観や感性の違いが、5年を過ぎた頃に見えてきたという。 理解への糸口が見えてきた女史は、日本人を理解するために韓国の習慣から離れて、意識的に日本の習慣に飛び込んでゆく。 ◇ 「はじめにに言葉ありき」 韓国語と日本語の違い。 1.発音の問題で、日本語にあってハングルに無いものがあります。それは「濁音」。女史曰く「これは、口で言えないだけではなくて、耳で聴くこともできないものなのです」 これは驚きでしたね、でも「ニダ」の「ダ」は濁音では??? しかし、ご本人曰く「テンテン病患者」だと。(笑) でも、これは問題にはなりませんね。 2.日本語と韓国語はともに世界の中でも「敬語・謙譲語」が多いと言われていますが、その使い方が正反対になります。 韓国は強烈な儒教社会ですので、他人より身内を「おだてる」言い方をするのが一般的、なのだそうです。 <例えば、電話を受けるときに> ・鈴木社長はいらっしゃいますか?に答えて 日本 「今、鈴木は席をはずしております」 韓国 「今、社長様におかれましては、いらっしゃいません」 <例えば、ビジネスで日本の社長が韓国の会社を訪問したときに> ・韓国社長が、日本社長を案内しているときの社員の様子 社員たちは、韓国社長に深々とお辞儀をし、次に日本社長には軽くお辞儀をする。 <例えば、北朝鮮に外国首相が訪問したときに> ・大勢の北朝鮮国民が、大歓声を上げている。 その内容は「金正日バンザーイ!」 つまり、同じ朝鮮民族である韓国と北朝鮮は、同じだということ。 家では父親が、国ではそのトップが一番偉い。ということは、自国の大統領は世界一偉い人だということになる。世界一偉い人だから外国の偉い人を招くことができるのだ、という解釈をするそうです。 しかし、この違いは強烈ですね。 女史曰く「頭の中で理解できていても、(今、鈴木は席をはずしております)と答えようとすると、まるで自分の社長様を蔑視しているようで、とても苦しくなるんですね」 外国で、習慣や価値観の違いに触れてカルチャーショックを受けることはよくあることですが、これは強烈。しかし、これが、朝鮮人の礼儀作法なのである。 3.韓国語に無くて日本語にあるもの「受身形」 これが最初の糸口となった。 字数のため次回へつづく お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
|