五日市の頃1
私たちが新居を構えた武蔵五日市は、東京のイメージとはかけ離れた地でしたが、住めば都でした。五日市の歴史は古く、平安時代は馬の産地。のちに北条市の支配になり、江戸時代には石、絹、材木、炭,薪、などの市が並び、それらは秋川を筏で江戸に運ばれたようです。五日市という名はその名残りでしょう。広島にも五日市と言う地名があるようですね。また五日市谷は甲州古街道を通って甲斐とつながり、武田軍からの守りの地でもありました。ヨルイチ五日市の歴史http://www5e.biglobe.ne.jp/~ikedaya/83038424/そんなわけで古い神社、寺もあり、町衆の気位は高く、お祭りなどは、なんとなくよそ者を受け付けない地元人だけの誇り高いコミニティがありました。夫の赴任した五日市高校は昭和22年に地元の陳情によって設立された都立高校で、創設期の夢とロマンの気風が今も残る高校でした。結婚前に期待した東京とは程遠かったけれど、武蔵五日市は山と川に恵まれた素晴らしい地でした。町を流れる秋川はその頃は澄み切っていて鮎やハヤもよく釣れました。秋川の鮎の解禁の前夜は釣り人が遠くから押し寄せ、町ぜんたいが異様な熱気につつまれていたものです。夫も教師仲間とよく友釣りをしました。その頃の秋川は夢のような川でした。今は砂利採掘の泥が流れてきて、流れや水質が変わってしまい、鮎もあまりつれないそうです。そのころ贅沢に鮎の塩焼きをよく食べましたし、ハヤなどは夫が帰宅してすぐ、夕方 川に降り、一時間程で篭一杯に赤い腹のハヤを釣ってきたこともあり、そんな日はすぐ夕食のてんぷらにしたものです。懐かしい良い時代でした。