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2024年03月27日
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万雑644_防人たちの別れを悲しむ歌を見て作った歌3首(大伴家持_144)


次は、
天平勝宝七年(755年)2月、大伴家持が兵部少輔(兵部省の次官)として難波に就き防人を監察した。2月6日、7日と続けて提出された防人たちの詠歌を2月8日に収集した家持は防人たちが別れを悲しむ心を痛んで詠んだ長歌(4331)と短歌2首(4332、4333)です


4331_「大君の 遠の朝廷と しらぬひ 筑紫の国は 賊守る おさへの城そと 聞こし食す 四方の国には 人さはに 満ちてはあれど 鶏が鳴く 東男は 出で向かひ 顧みせずて 勇みたる 猛き軍士と ねぎたまひ 任けのまにまに たらちねの 母が目離れて 若草の 妻をもまかず あらたまの 月日数みつつ 葦が散る 難波の御津に 大船に ま櫂しじ貫き 朝なぎに 水手整え 夕潮に 梶引き折り 率ひて 漕ぐ行く君は 波の間を い行きさぐくみ ま幸きも 早く居りて 大君の 命のまにま ますらをの 心持ちて あり巡り 事し終はらば 障まはず 帰り来ませと 斎瓮を 床辺にすゑて 白たへの 袖折り返し ぬばたまの 黒髪敷きて 長き日を 待ちかも恋ひむ 愛しき妻らは」

※_
「天皇の遠方の朝廷として(しらぬひ)筑紫の国は、外敵を監視する防備の城だとして、お治めになる四方の国には人が沢山満ちてはいるけれど、(鶏が鳴く)東国男子は、立ち向かい、後ろを振り返ることもせず勇ましい強い兵士だと、ねぎらって派遣なさるままに、(たらちねの)母のもとを離れて、(若草の)妻と寝ることもなく、(あらたまの)月日を数えつつ、(葦が散る)難波の港で、大船に櫂を沢山取り付け、朝凪に水夫を指揮し、夕潮に櫂も折れんばかりに、号令して漕いで行く君は、波の間を掻き分け進み、無事に早く到着して、大君の命令のままに、ますらおの心をもって任地を経めぐり、任務が終ったら元気で帰っておいでなさいと、斎瓮を床のあたりに据えて、(白たへの)袖を折り返し、(ぬばたまの)黒髪を敷いて、長き日々を待ち恋うているだろうか。愛しい妻はと歌っています。


4332_
「ますらをの靫取り負ひて出でて行けば別れを惜しみ嘆きけむ妻」
※_
ますらおが靫を背負って出て行くと、別れを惜しんで嘆いたであろう妻よ」と歌っています。


4333_「鶏が鳴く東男の妻別れ悲しくありけむ年の緒長み」
※_「(鶏が鳴く)東男が妻と別れるのは悲しかっただろうなあ。長い年月なので
」と歌っています。

備考;続日本紀には、天平勝宝六年(754年)4月5日付けで従五位下の大伴宿祢家持を兵部少輔(兵部省の次官)に任じ、同年11月1日付けで山陰道の巡察使に任じたと記載されています。

​​​​​​​​備考;大伴家持の経歴と関連する出来事

​​​​養老2年(718年)ころに生まれた
天平8年(736年)家持が19か20歳で秋の歌4首(1566~1569)あり
​天平10年(738年)内舎人としてお目見え​​​
​天平11年(739年)6月;家持の妾が死去​​​​
​​​※_天平12年8月29日藤原博嗣が政府批判、9月3日挙兵、藤原博嗣の乱
天平12年(740年)に聖武天皇の伊勢行幸に従駕​​​
※_聖武天皇伊勢行幸;10月29日に立って、11月2日から11日まで滞在
※_天平12年12月15日、聖武天皇の勅命により平城京より久迩京に遷都
天平12年から天平15年ころ、家持は坂上大嬢を娶ったようですが?
※_天平16年(744年)2月、難波京に遷都
​天平16年(744年)2月;安積皇子(享年17歳)が死去

​​​※_天平17年(745年)5月、都を平城京に戻す​
​​
​天平18年(746年)正月;天皇の詔に応えて詠んだ歌(3926)
​天​
​​​​​平18年(746年)7月に越中守として越中国に赴任
※_越中国在住中の歌が223首ある
天平感宝元年(749年)4月14日から7月2日までの元号
天平勝宝元年(749年)7月2日に聖武天皇から孝謙天皇に代わった
天平勝宝2年(749年)3月頃;家持の妻の坂上大嬢は越中に居ました
​​​
天平勝宝3年(751年)7月17日に少納言に任命される
​​​​天平勝宝3年(751年)8月に帰京
天平勝宝6年(754年)4月5日、
兵部少輔(兵部省の次官)に任じられる
天平勝宝6年(754年)11月1日、山陰道の巡察使に任じられる
天平勝宝7年(755年)2月に難波で防人の検校に関わる
天平宝字2年(758年)に因幡守として因幡国に赴任
※_万葉集の末尾(巻20_4516)は家持が天平宝字3年に作った歌です
天平宝字6年(762年)に帰京
天平宝字8年(764年)に薩摩守として九州へ
神護景雲元年(767年)に太宰少弐に転じて大宰府へ
神護景雲4年(770年)に帰京(民部少輔)
延暦4年(785年)_8月28日死去

家持の作った歌の掲載巻別の歌数;
巻第三;21首(長歌3首、短歌18首)_済
巻第四;64首(長歌0首、短歌64首)_済
巻第六;9首(長歌0首、短歌9首)_済
巻第八;51首(長歌2首、短歌49首)_済
巻第十六;2首(長歌0首、短歌2首)​_済​
巻第十七;76首(長歌9首、短歌67首)​_済​
巻第十八;69首(長歌10首、短歌59首)​_済​
巻第十九;103首(長歌17首、短歌86首)_済
巻第二十;78首(長歌4首、短歌74首)
​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​
​​

以上

                                






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最終更新日  2024年03月28日 08時07分50秒
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