中国の歴史_4 「殷本記」
お久し振りです!今日は雨天で、ちょっと余裕が・・・長い間休んでいるブログが気になって続きを書こうかなと思い立って、ブログを開きました。前記の「夏」は存在が謎ですが、「殷」は殷墟という都の遺跡がちゃんと残っており実在した王朝です。殷墟は河南省安陽市小屯にあります。「殷」は、紀元前15年ころに湯王(とうおう)が建国した王朝です。漢字のもととなった「甲骨文字」は、この殷で作られたのです。甲骨文字は、殷王朝の後期に、亀の甲羅や動物の骨に書いて、その裏に穴をあけて、その穴に炭火当てて熱で骨にヒビが入ります。そのヒビの状態で占い、国の大事を決めていたのです。殷王朝は20代も続いた優れた王朝でした。しかし、暴君の名が高い紂王(ちゅうおう)が「周」に滅ぼされます。この紂王は、四字熟語になっている「酒池肉林」のその人です。広辞苑には、[史記(殷本記)「以酒為池、懸肉為林」] 酒や肉が豊富で、豪奢を極めた酒宴と記されていますが史記の殷本記には、紂王の暴君ぶりが、こと細かく書かれています。紂王は生まれつき弁舌にたけ、頭の回転が早かった。そのうえ、猛獣を素手で倒すほどの怪力の持ち主でもあった。頭がきれるので臣下のへたな諫言などさっぱり効果がないし、弁が立つので、どんな非をも正当化してしまう。天下に自分以上のものはないとし臣下を無能呼ばわりし、ひたすら自分の勢威を誇った。・・・気に入らない者を殺して塩辛にしたとか、「酒池肉林」で遊び呆けたと・・・これらはのちの「周」がでっち上げたともいわれていて本当にそうだったかは疑問だそうです。次回は「周本記」です。