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テーマ:洋楽(3317)
カテゴリ:70年代洋楽
a-haなんてのがその最たる例だ。他にもカジャ・グーグーとかMCハマーとか…(あ~懐かしい) 一説によるとイーグルスを「"ホテル・カリフォルニア"だけの人達でしょ?」とか言う人間もこの世には存在するらしい…(コワい) その一方で、たった一曲の大ヒットを飛ばしただけで、その後は二度とチャートに姿を表さない人達もいる。 チャートの片隅にさえも全く名前が載る事もなく、そのままプッツリと消息を断ってしまう。 まさしく一発屋である。 今回紹介するMというアーティストは、その中でも頂点に立つ人である。 '79年3月に発売されたMのシングル「Pop Muzik」は同年11月に全米1位(英国では2位)を記録。 そして、その後に出したシングルは、TOP40はおろかチャートの100位以内にすらカスる事もなく、そのまま彼の名前がヒットチャートに載る事は二度となかったのである(英国ではこの他に2曲の小ヒットがある)。 これぞ一発屋。まさに一発屋。彼こそが真の一発屋である。 「一発屋の代名詞」と言われながらも、実は3曲のTOP40ヒットを持つナック(マイ・シャローナ)などは、彼の前では赤子同然である。 "M"ことロビン・スコットなる人物は、1969年に「Woman From The Warm Glass」でデビューする。 今ではアシッド・フォークの隠れた名盤として、一部で高い人気を誇るこの作品も当時は鳴かず飛ばず。 彼はその後もいくつかのR&Bバンドを渡り歩いているが、これといった成功を収める事はできなかった。 そして1979年、時代を見据え、テクノの波の到来を予感した彼は、一枚のシングルを制作する。それが「Pop Muzik」だった。 レコードを作るお金がなかった彼は、様々なスタジオを渡り歩いては「もし成功したら、その何%かをあなたに差し上げます」と言って、資金をかき集めた。 シンプルでインパクトのある名前をと考えていたロビン・スコットは自らを"M"と名乗り、なるべく自分の正体を明かすまいとした。 「"M"というのは、バンド名ではなくシンボル名なのです。人々がそれが誰か知りたがれば知りたがるほど、私は正体を明かすまいと思いました。」----ロビン・スコット ポップ・ミュージックというものをナナメから見た内容のこの曲は、テクノ・ポップ黎明期を象徴するような一曲で、チープなピコピコ・サウンドがとても印象的。 無機質なダンス・ビートにのっかるロビン・スコットの下世話なボーカルとクールな女性コーラス、そしてどこかトボけていながら何気にキャッチーなメロディ。 う~ん、こいつぁ耳に残るぜ。 今となっては他愛ないダンスポップであり、「時代のあだ花」と言えばそれまでだが、"One Hit Wonder"こと「真の一発屋」という嬉しくない称号が与えられた事もあって、"M"の名はポップス愛好家の記憶に残る事となった。それもまたひとつの人生か。 まあ少なくとも一発も当たらない人生よりはマシだよね …って、実はこの曲、最近の某CMでもさりげなく使われてたりするし。 後に大ヒットしたレイ・パーカー・Jrの「ゴーストバスターズ」(1984年全米1位)は、この「Pop Muzik」の盗作であるとして、ロビン・スコットは裁判を起こしている。 結果はロビン・スコットの勝訴。両者を聴き比べると「ん~確かにちょっとアヤしいかもね」という気はする(ちなみに「ゴーストバスターズ」はヒューイ・ルイスからも盗作として訴えられているw)。 またロビン・スコットは80年代には坂本龍一とコラボレーションをしたりもしている。 それではここをクリックして史上最高のワン・ヒット・シングル「Pop Muzik」を聴こう! ぽっ・ぽっ・ぽっぷみゅーじっく♪ ぽっ・ぽっ・ぽっぷみゅーじっく♪ お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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