第十九世十一代継承
上海で陳氏太極拳を指導する養芯会、総師範の塚本です。現在、養芯会は上海本部、青島支部、東京支部、名古屋支部と拡大中です。太極拳の世界では洛陽・南寧・リヨンの教室と提携を持ちました。更に、他の文化団体・教室・博物館・美術家等の提携を結んでいます。養芯会は昨年度、皆の力でがーっと内部を充足させていきました。私が様々なモノ、楽しみを諦め、その対価として身に着けた陳氏太極拳の技術と精神は既に私一人のものでは無い。とまあ、そんな事を肝に銘じて、自分を律しなければと思っていた矢先の事。師父・鄭旭東が昨年、故王雁の遺志・遺命を受諾し、王一派の門人へと戻りました。従って、 陳氏太極拳第十八世十代伝人となりました。http://www.taijiren.cn/MemorialHall/11873.htmlhttp://www.taijiren.cn/Details/21189.htmlそうなると、私自身も 第十九世十一代伝人となります。世界でメジャーどころの先生達と同じポジションに成ったと言う事です。http://www.taijiren.cn/Details/21441.htmlぶったまげです。本部の免許皆伝者管理局サイトが私のデータを正式アップ。再起をかけた洛陽赴任、出会った陳氏太極拳の先生。もし、場所が違ったり、メジャーな先生の教室の門をたたいていたら、この風景にはたどり着けなかったです。そもそも、私の性格は武術向けでは無い。争い事は嫌いだし、喧嘩はビビってしまう。太極拳の技術も格闘術よりも断然に養生や体調コントロール、そして病気を治す方が得意。バックに大きな組織がいたり、資本力があったりと、そう言うわけでもない。たまたま、大きな病気をして、これまでの『ハート』だけ残った状態で地方都市に挑戦に行って、たまたま太極拳の偉い先生に巡り合っただけ。師・鄭旭東は何時もは普通の人。誇り高いがその分、商売下手。売り出す気が無い。ひたすらに拳を磨いて、自分を知る人にだけ技術を伝えてきた人。反日感情が当たり前の中国。そして、外国人自体が珍しい河南洛陽は当然風当たりもあった。更に閉鎖的な武術の世界で、私は独り、戦ってきたのです。・・・・・・いや、結構楽しくやっていました。ですが、後ろ盾も無く、『日中友好文化交流』を後ろで眺めながら、自力で這いまわる毎日はキツカッタ。様々な出来事を経て、鄭一門ではそれなりに発言できるようにもなり、兄弟子達とたまには喧嘩もしますが、仲良く交流するうち既に十五年です。武術の修業を続ける為に今の仕事スタイルを選びました。そんなことの為に十五年も使った阿呆はタブン日本人では私だけだと思います。あ~、何やってんでしょ。もっと楽しい事もあるのに。もっと楽な事も。とは言え、塚本博信、日本人ながら第十九代になりました。これからも頑張ります。もう、私の拳は私だけの物じゃない。伝人とは伝える人という意味。がんばるぞ。太極拳にご興味のある方は養芯会HPまでご連絡ください。現在、少年班を作るべく募集中です!以下は王雁師爺の略歴です。ご興味のある方は頑張って訳してみてください。王雁(1900-1980),字廷选,河南温县陈家沟人。陈式太极拳第九代传承人。清末民初太极拳名家陈延熙得意弟子,陈家沟老四大金刚之一(陈发科、陈伯渠、陈宝璩、王雁)。资质聪慧,悟性超人。成年时体重也不足80市斤,却练就了一身传奇的功夫。1. 少年习拳王雁少年时,一日练拳拿捏了个击地捶的架子,被140多斤的人抱紧后腰,他连晃三下也没挣脱,问此种情况该何解。问了几遍没人说。一旁的师父陈延熙老人扎起架子,对弟子们说“你们上来试试!”可是没人敢去碰他,都怕被打惨。于是他拿起靠墙放的白腊杆拐仗,以杆戳地,连戳几下,说了几遍“回头背折靠、回头背折靠!”,王雁顿悟。再次扎击地捶的架子,被同一个人从后抱腰时,以此劲一下就将人从围观的弟子头上甩了出去。旁边看的陈延熙,一看王雁的悟性这么高,直说:“小王雁不得了!小王雁不得了!”很多人即使直白说都还理解不了,他一听就明而且马上能用出,这种悟性少有!王雁最终是跟着陈延熙、陈发科、陈照旭(陈小旺的父亲)陈家三代人练出了这身功夫。2. “神靠铁捋王”称号的由来当年西安一带习武成风,汇聚了众多武林高手,陈家沟的人有时都会被打。被打得多了,陈沟便公推王雁,让他去西安摆摆。王雁到了那(一个大堂内),端张方凳,往下一坐,对着众人说了声“来吧”。一个练外家拳、功夫相当了得的教师爷(即武术教练),看着王雁还不到80市斤,像个小孩,心想陈家沟真没人了,派了这么个人过来!一点不客气,嗖地一声从人堆中腾空蹿出,直奔王雁而来。只见王雁端坐方凳,不慌不忙,眼瞅着这位招呼过来了,肩微微一动,那人呼地一声已经被腾空放到三四米开外。教师爷到底不是吃素的,外家功夫已练到相当程度,在即将落地时脚尖轻轻一点,身形不变,再次腾空而起奔着王雁而来。陈家沟老辈人一直流传一句话“搭手时,一招摸空,扭头就走。再进就是找死了。”王雁看他不收手,第二次招呼过来,也不客气了,依旧稳坐方凳之上,等对方将将要近身时,王雁身子微起、屁股离凳,一掌将凳子拍碎,再上前微微进步,脚略微向前滑了下,就将这个练家子从老式书架上方甩飞而过,把雕花窗撞出一个窟窿直接飞到了外面。王雁再度发声“还有谁不服的,可以再来!”等了几分钟无人应场。被打的教师爷提了两个面袋的银元,来到王雁面前,把银元往地上一扔,让王雁收下,就要磕头拜师。王雁说“你干啥?”教师爷说“我都没看见你的手动,你是怎么打我的?能否相告?”王雁笑了,说“是用肩靠打的你。还有一种力,来,你过来!”让他再试。这回试的是捋劲,让教师爷一点动弹不得,手一动,又把他扔出去了,说“这就是陈家沟的太极铁捋”。从此,西安人给王雁送了个“神靠铁捋王”的称号。 3.四川大战王雁偶到四川,碰到一个功力很深的人,乃重手派掌门。掌门曾有一次见两头牛打架,他徒手分开,两牛又打到一起,他上去就连出两拳,每头牛的肚子各击一拳,结果把牛都打死了,功力可谓深厚。可是这两人大战一晚,掌门人没能打中王雁一拳,他却反而被打。此事原无人知,在掌门人死后,通过他墓碑上的石刻遗言,后人方知这一段往事。遗言大意:我一拳能把羊头打碎,两拳能把两头牛打死,可是跟王拳师对阵,根本摸不住他,我退他进,我进他走,一不留神还被他腾空甩出,身形还没见动,不知用的什么招法。我一代掌门,居然不知他练的什么拳,实在羞死! 后话:郑旭东年轻时去跟王雁学拳,王雁说“我叫你往肩上趴你就得趴肩,叫你趴肘你就得趴肘,挨上就挨打”。郑师说还真的就是这样,自己根本作不了主,他叫你怎么趴你就怎么趴,他想怎么打就怎么打。