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2016年09月16日
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明日から始まるクラスのテキストが昨日、ほぼ完成したので(ほんとぎりぎり)
昨夜はおさむがワインを用意してくれていたこともあって
乾杯しました。

今日は、いまから部屋の準備や何やらがあるのですが
昨日、12つ必要な椅子が、数えてみたら11つしかなく
一つ足りないことに気づいて、数えるのが遅すぎじゃ〜ほえー
すぐにどこかに買いに行かなければ、と思っていたのですが
クライアントさんで、もうすぐ日本に引越しするので、いらなくなったマッサージテーブルを
譲ってくれる方がいたので、おさむがちょうど昨日それを取りに行ったら
そこに譲ってもらえる椅子もあったということで
おさむが今、再びそれを取りに行っているところです。
ほんとすべてタイミングよくできているなあと。

さて、この初級クラスのプログラムを作成する中で、私自身いろんな気づきがあって
まだクラスは始まっていないのに、すでにやってよかったな〜という気分です。
そのことはまた後ほどアップすることにして
今日は先日クライアントさんから頂いたセッションの感想がとても率直で
伝わってきたので、それをご紹介がてら、つれづれと
「人からのお誘いや頼まれたことを断ること」について、書いてみようと。

もちろん、頼まれたことが自分にとってもやりたかったことや楽しいことなら
全く問題はないのですが、そうでないのにも関わらず
お断りすることができない人ってとても多いんだなあと
これまでセッションをやってきて実感します。

断ったら、申し訳ない、とか
断ったら、相手を嫌な気持ちにさせてしまう、とか
断ったら、もう誘ってもらえないかも、とか
断ったら、嫌われるかも、とか
断ったら、怒られるかも、とか
断ったら、相手を傷つけてしまうかも、とか

いろんな感情や思いから断れない方もいますが
お願いされたり、誘われたら、断らないのが当たり前になりすぎて
自分がそれを引き受けるのが、ストレスになっているのだとさえ感じることなく
引き受けている方もけっこういるのです。

「断る時のストレスを感じるぐらいなら、引き受けた方が気が楽」とか
「自分にとってはどちらでもいいのだから、相手に合わせた方が楽」
という方は、常に相手がどう感じるか?が意識の中心にあって
自分自身がが心地いい、楽しい、やりたいという感覚を
ずっと封印してしまうのです。

ですから、人からのお誘いや頼みを断れない人
人の期待に添おうとする人、人がどう思うかを気にする人は
だんだん自分が何をやりたいかもわからなくなっていくわけです。

なぜ、そういう面倒なことになってしまうのか?ということですが
もちろん根底には、自分の価値を自分自身が認めていない
つまり自己価値の低さがあるわけですが
それに加えて、いやそれに関連することとして
脳や遺伝、前世などが関わっています。

脳的な見地から言えば、扁桃体や大脳辺縁系
また前頭前野などに要因があったり

遺伝的には、そういった親の性質を遺伝として受け継いでいたり

前世的には、過去世で差別された、とか見捨てられた、とか批判された
(これは今生とリンクすることが多いんですが)
などというエネルギーとつながってたり

もちろん親との関係がそういった要因すべてにリンクしてくるわけなんですが
そういう要因があると、例えば「人から怒られる」とか
「人が機嫌を悪くする」「人から嫌われる」とかいうことが
潜在意識でとても怖いことだと感じていたりするんですね。
だから、できるだけ自分が傷つかないように、人に合わせてしまうので
「人からの頼みや誘いを断らない」「人の期待に応える」というのが
潜在意識の中では自分を「守ること」になっているわけです。

もちろん、自分が本当にやりたいことをやっていないわけですから
実際には自分を守っていないわけで、いわば幻想みたいなものなんですが
その感覚を持っている以上、どうしても断ることが
できなくなってしまうのです。
そして、断るのが苦手な人は、今度は自分が人に頼むのも苦手なのです。
自分が無理して引き受けてしまうので、他の人もそうだと思って
「無理させたら申し訳ない」
と気軽に頼めなくなってしまいます。

ということで、前置きが長くなったけど、セッションのご感想です。
この方は、今回のセッションでは仕事へのモチベーションと
身体的な調整を行ったのですが、その中で
自分が本当はやりたくない依頼を断ること、というのが出てきました。

レポートありがとうございます。
今までデトックスなど起きたことなかったのですが(感じなかっただけかも)
今回は、寝不足だったといのもあるのか、イライラしてました。

そして、30年以上会っていないほぼ他人同然の友人からの仕事の依頼、
断っても断っても諦めず何度もメールが来てしまいました。

で、すぐに返事をしなくちゃいけないと言うことはないんだ。
今、返事したくないなら後でしよう。と思った瞬間、すごく楽になったんです。
それで初めて、自分がストレスを感じていたことに気がつきました(笑)。

で、断っても諦めてくれない友人に対し、自分の気持ちをメールしたんです。
それは、今までのような失礼がないように、やんわりと断るやり方でもなく、
怒りを乗せた断り方でもなく、すっごく自分らしい表現の仕方で、断りました。
そうしたら、不思議と心がオープンになれて、彼女とすごい近い友達になれたりして。
みたいな気分になりました(笑)。
もう、諦めずに何度もメールが来て、しつこいなぁ、もう関わりたくないと
嫌な気分になっていて、今後、しこりを残しそうだったのに、
言いたい事が自分の表現で言えて、な~んのしこりもなくなったんです。
これで、彼女がどう思おうが、あとは彼女の問題だからいいや。と思えたんです。

ああ、これがのりこさんが言っていた
「人の期待に沿う事ばかりやっていると、どんどん自分表現できなくなる」
なんだなぁと実感しました。
親しくない人に、自分の気持ちをぶっちゃけるのって初めてでした。
全然、怖くなかった。そして、ぶっちゃけてしまった後は、清々しくて
感じていた相手との距離が縮まる感じがしました。

そしたら、彼女も実は、関係ない職種なのに、全部自分に背負わされていた。
と言う事を素直に話してくれました。

ああ、すっごい簡単な事だったんだなぁ。と思いました。
自分の本音ほど人に話すのは、怖いことでした。
特に、期待されているのにそぐえない時は。

なんか、最近本当に楽になりましたよ~。
特に、優越感やプライド(まだあるけど)が、なくなってきたことによって、
相手の言わんとしている事が、勝とうとする感情なしで聞けるようになり、
色んなことがシンプルになってきました。

ああ、プライドって本当にいらなかった。
ああ、人からどう見られるか、なんてすっごいどうでもよかった。

怖くて身につけてきた物を手放すなんて出来なかったけど、
今は、手放せば手放すほど、むしろ怖いものってなくなるんだなぁ、と思います。


これを読んですごいなあと思ったのは
キネシオロジーのセッションが終わって、何かの意識が変化した後
その変化が自分で実感できるように
それに関連したお題がやってくることって、案外多いのですよね。
それがまるで学校での勉強を復習する宿題みたいにやってくるので
私は「(魂の)ホームワーク」と呼んでいるのですが
これを読んで「おぉ、きっちりホームワークこなしているのね~」と
うれしくなりました。
セッションで意識が変化すると、ちょっとした自分の言動が変化し
それによって、さらに気づきが起こり、意識が変化する、という変容のプロセスを
こういったホームワークで確認できるわけですね。

今回は、まず、彼女がこれが自分にとってストレスになっていたのだ
ということに気づいたということ。
ストレスを上手く感じれない、という人は案外多いのですが
自分が何がストレスになっているのかを感じれない人は
本当にやりたいことがわからなくなってゆくのです。

そして、次に自分にとって自然な表現で
「本音で」伝えることができているということ。

セッションでは「人の期待に添おうとしない」という
身体からのメッセージは伝えましたが
では実際に、どんな風に相手に伝えて断るのか?までは
今回のセッションの中ではやらず
私はただ脳や遺伝を調整しただけなのですが
その結果、彼女がいつもとは違う形で
そして、彼女にとって清々しいと感じる自然で伝えることができて
それが、人との親密さまでも感じれるような表現だった
というのは、大きなステップだなあと。

断ることが苦手な人にとって
断ったのにも関わらず、再度、頼まれるというのは
ハードルが高いホームワークだったと思うんですが
それは、まるでその古い友人がそういうお役目を引き受けてくれた
という感じがするんですね。

そして、このご友人もまた、押し付けられたものを断れずに
引き受けていたということですが
彼女が今回、本音で伝えたことは、その友人にとっても
どこかで心に残ることでしょうし、もしかすると
自分のやりたくないことは断るという
本来のあり方への転換のきっかけになるかもしれないなあと。

本当は、世の中には加害者と被害者、がいるわけではなく
被害者が新たな被害者を生んでゆくだけで
本当の加害者はどこにもいないのですから。

「〜〜のせいで私が大変になっている」と被害者意識の人は
それは、すべて自分の(無意識レベルも含めての)選択の結果なのだ
ということに気づいて、何らかのエネルギーを変化させない限りは
ずっと自由に生きれないのです。

だから「これを断ったら傷つくかも」という思いと同じように
『こんなことを頼んだら、相手が迷惑するかも」
と考えるのも、本質からずれているわけ’ですね。
引き受けるかどうか、相手がどう思うかは相手の選択であって
自分が考えたり、気遣ったりしても
それはあくまでも自分ならどうする、というところからしか考えられないので
全く的外れなこともあるわけです。

相手がどう思うか、ではなく
自分がどうしたい、と本音で伝えることができるということは
相手を信頼しているということになるので
人と親密になる、人とハートでつながるということになります。
相手に気遣えば気遣うほど、人との壁を作ってしまうのです。

そして「人の期待に添ってしまう」というのを紐解いてゆくと
前世や何かの影響はいろいろあっても、今生では、やはり親との関係が
一番大きいです。
もともとは「お父さんが喜んだらうれしい」
「お母さんが幸せを感じてくれたらうれしい」
という子供の頃の純粋な気持ちから、親の期待に添いたいという
物わかりのいい子になり、それが、人の期待に添いたい、人を喜ばせたい
となり、だんだんと、こう言ったら、こうやったら人がどう思うか?
にいつも意識があって、自分がどうしたいのか?には添えなくなってゆくわけです。

誰だって、人が喜んでくれたらうれしいものですから
多くの人がそうなってしまうのも、自然な流れなのだなあと。
でも、人を幸せにするより、自分を幸せする方を先にやると
最終的には人も幸せになるというサイクルに入ってゆきます。
そのことが腹で理解できると、人との親密を感じながら
自由になれるのです。

このブログも、まだ私がお会いしたことがない方たちが
読んでくださっているわけですが
時々、ふっとまるで親友に近況を報告しているような気持ちになるので
アップしないとさみしかったりするんですよね。

ということで、明日からのクラスもすでに私が楽しんでいるので
参加してくださる方たちも、きっと大丈夫だろうと♪
楽しんで行ってきます〜(って家でやるんだけどあっかんべー





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最終更新日  2016年09月17日 03時22分24秒
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