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2023年06月12日
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カテゴリ:つれづれ

さてさて、私の古い恋愛ストーリーですが

この後、恋愛+結婚の20年余りがあって

それを全く書かずに終わるのも、なんかすっきりしないなあ

と思いつつ、なかなか書けないでいました。

先日、頂いたメールに

「典子さんとOさんのお話を聞きたい気もするけど

ちょっと聞くのが怖い気もします。笑」

という文章があって

うん、わかるよ、わかるよ、怖いよね~

と、一人でうなずいてました。

Oちゃん(ここまでの恋愛ストーリーは

イニシャルで書いてきたので

ここでもイニシェルで書きます)のことは

これを読んでくださっている方の中には

実際によく知っている人も多いだろうし

今もOちゃんとの交流がある人もいるので

どう書いたらいいのか、難しいところがあるのだけど

どちらにしても、私が伝えたいのは

なぜ傷ついたか、とか、どういう問題があった

とかいうことでなくて

その恋愛や結婚から、私は何を学び

また、一方で、どんな不要な信念体系や
思い込みやブロックが生まれていたか?

ということなのです。

あらゆることは、別の視点で見てみると

違う側面が見えてきます。

例えば、前回に書いた

Fちゃんのご両親の立場になって物事を見てみるなら

300人の社員とその家族の生活への責任を

負って会社を経営されているわけで

その責任感が強ければ、強いほど

息子の嫁となる人も

その責任を少しでも担ってほしいと思うのは

当然のことで

もし、私でもその立場になったら

そう願ったかもしれないし

だから、彼らが悪い訳ではけしてないことは

当時の私にもわかっていました。

でも、同時に、それに従うことができなかった

私が悪いわけでもなく

やはり、あの選択をして本当によかったと

今では思うし

ただ、物事がそうなっていた、というのか

そういう運命だったというのか

だから、どちらが悪かったというものの見方をしている限り
本質的なことが見えてこないと思うのです。

Oちゃんとの20年以上の付き合いの中では

もちろん、いろんなことがあり

その時々での気づきや学びはありましたが

一言でまとめるのなら、彼の存在と彼との関係は
私がヒーラーやセラピストとして、また

多次元キネシオロジーの創始者としての学びのために

絶対的に必要だったということです。

Oちゃんとの出会う前と、出会った後で分けるなら

出会う前の私は「受け取ること」の学びと喜び

出会った後の私は「与えること」の学びと喜び

をやっていたのだなあと思います。

Fちゃんとの恋愛のみならず

私は、とにかく、人からサポートされ

与えられているというのは

すでに大学時代から、感じていました。

例えば、大学時代、私はバイトで明け暮れて

(+酒飲みすぎて😅)

大学の授業をサボってしまうことが多かったのですが

そういう時、私が頼んだ訳でもないのに

友人たちが、その日のクラスのノートを持って

私の下宿先まで訪ねてきてくれるのです。

当時から私は、いつも人から

「お世話される側」にいました。

社会人になってから

仕事場でも、プライベートでも

多くの場所でケアされて、たくさんの愛と

サポートを受け取ることになりました。

一人一人の顔を思い出せば

今もなお、感謝で涙が出てきます。

会社で、私のむちゃぶりに文句も言わず

暖かく見守ってくれていた上司。

私がアメリカに旅立つ前に働いた

バイト先のスナックで
本当の母のような愛とサポートを与えてくれて

アメリカに旅立つ時に、のりちゃんがいなくなるのは

寂しいと泣いてくれたママ。

店にとっては、税金の負担になるのに

私の将来のことを考えて、グリーンカード所得の

サポートを申し出てくれたレストランのオーナー。

私の夢の実現のために、何万ドルものお金を

何の見返りもなく、与えてくれたKさん。

(この見返りなく、与えられるパターンは

他の人からも何度もありました)

そして、いつの時も、どんな私でも

受け入れ、支えてくれた多くの友人たち。


もう数えきれないほど、たくさんの人からの
愛とサポートを受け取ってきましたが

私は、いつも相手から受け取りっぱなしで

お返ししたりはしていなかったなあと。

これはクライアントさんのセッションで出てくるのですが

受け取ることができない人に多いのが

受け取ったら、お返ししなければならないとか

相手に従わなければならない、と

思っている人が多いんですよね。

受け取るというのは、ただただ感謝して受け取り

甘えるということ。

もし、お返しをするなら、それは受け取ったことには

ならないのです。

私がそれが自然にできたのは、私の母の影響でした。

母は、よく父方の実家から、物やお金を頂いた後

私たちにポロリと

「(お返しをせずに)親からありがたく受け取ることが

親孝行だからね」

と言っていました。

受け取ることは、自分のためでもあるけど

(与える人の愛の気持ちを受け取るという)
相手のためでもある、という教えを

いつも間にか、母から私は学んでいたのだと思います。

日本では、与えることより、受け取ることの方が
できない人が多い中で
私の歩んできたプロセスは
とてもラッキーだったのだなあと。

なので、私が、30代になる頃に感じていたのは

「私はすでに一生分、人からの愛とサポートを

受け取ってきたから

これから、例え、与える一方になったとしてもいいな」

ということでした。

そんな時に出会ったのが、Oちゃんだったのも

今思うと、受け取ること、与えることの学びの

バランスとして

ベストのタイミングだったのかもしれないなあと

今は思うのです。

それまでの人生で

「人に甘え、サポートを受け取っていれば、人から愛される」

というのを、身に染みて、実感してきた私は

Oちゃんと付き合い始めた、最初の2、3週間で

「あれ、どうやら、これはそういうことではないらしい」

ということに気づきます😅

そもそも、彼との付き合いだけでなく

例えば男性と食事して、女性がお金を出すことなども

それまで、考えたこともない私でした。

今でも仲の良いくれちゃんは、今でこそ

たまに私がご馳走することもありますが

昔は、数えきれないぐらいご馳走になっていても

ただの一度も私がお金を払ったこともないし

何かのお礼をした記憶もなく

ただいつもありがたくご馳走になっていました。

Oちゃんとの付き合いがなければ

私は、仕事でお金を得ることの喜びを知ることも

人に与える喜びを知ることも

なかったのかもしれないなあと。

つまり、Oちゃんとの出会いと付き合いによって

「受け取る、甘える、弱さを出す、感じる」

と言った女性性の学びから、

「与える、導く、問題を解決する、前進する」

と言った男性性の学びの時期に入っていたのだなと

今、振り返ると思うのです。

(若干、男性性が行きすぎてしまったんだけどね😅

これは、以前、Oちゃん自身が言っていたことで

「のりこは、俺と出会わなければ

(男性によって、傷つくこともなかったので)

自分を癒す必要もなかっただろうから

のりこをセラピストとして、成長させたのは俺だな」

なんて、自慢なんだか、自虐なんだかわからない感じで

言っていたのですが

(そういう自虐ネタ、私は大好きだったのだけど)

本当にそうだったなあと。

これは、ここで言ってもいいかどうかわからないけど

(もう時効かなと、書いてしまうのだけど🤣)

確か、二人でメキシコに行った直後の2012年のことで

ある時、Oちゃんが

「好きな女性ができた」と言い出した時がありました。

これは彼をかばう訳ではないのですが

結婚していようが、誰と一緒にいようが

他の人を好きになることって

誰でもあり得ることだと、私は昔から思っていて

例え、そうなったからと言って

裏切られた、とか、見捨てられたとかは

私は全く思わないので

それ自体は仕方ない、と思うのですが

それを私に伝えるということは

私と別れたいということなのかな?と

「じゃあ、これからどうしたいの?』

とOちゃんに聞いたのです。

すると、彼が答えたのは

「どうしたいのかよくわからない。

のりこの(キネシオロジーの)セッションを受けて

確かめたい」

ということでした。

これは、普通は、あまりないことだなと思うのです。

旦那が他の女性を好きになって、今後どうしたらいいかを

決めるセッションを、妻である私が行うのですから。

でも、私は「わかった」と言って

そのセッションを引き受けたのは

彼は私のことを、セラピストとして

心から信頼しているのだな

ということを感じたからでした。

私が、ジェラシーや恨みを持たずに

彼の身体の声、ハイヤーセルフの声を聞いて

彼にとってのベストの道を導きだすということを

彼は深く信頼しているからこそ、私にセッションを

頼んでいるのだなと。

私は、その信頼に応えたかったし

実際に、もし、彼のハイヤーセルフが離婚を

望んでいるのなら、それを受け入れようという覚悟で

そのセッションを引き受けたわけです。

これは、人へのセッションを行う上で

キネシオロジーのセラピストとしては

大切なことなのですが

どんなに親しい人に対してでも

相手にこうなってほしいという

自分の願いやエゴを捨てて

相手のハイヤーセルフの声を聞いて行く

というの学びのためには
彼との関係の中で、いつも

最高のお題を与えられていたのだなあと。

(若干、修行モードだけど😅)

結果的には、そのセッションの後

彼は、すっかり、その女性への想いが消えてしまって

「俺は、メキシコで呪いにやられて、惑わされた~」

なんて冗談で言っていたのですが

(そういうとこ面白くて笑えるので、好きでしたが)

当然、離婚になってもならなくても

女性としての私が傷ついていることは

当時の私もよくわかっていたので

彼へのセッションの後で、私は

自己ヒーリングで自分を癒すことになったのでした。

これは、クラスの中でもお話したことなのですが

私の中で、いつも、男性性と女性性の私がいて

男性性の私は、問題解決思考であり、人を導いてゆくので

お互いにとって何がベストの選択なのか?で動くのですが

女性性の私は、ただ傷ついた、とか

悲しいという感覚を受け取っているのです。

Oちゃんとの関係の中では、常に私は男性性が

先に出てきて、女性としての私に向かって

「そこで傷ついているのは、よくわかってるからね。

後で癒してあげるから、もうちょっと待っているんだよ」

そう伝えて、後で自己ヒーリングで対応していたのだなあと。

そういう意味では、けして達観して
その傷をなかったことにはせずに
その都度、向き合ってきたように思います。

若い頃の私は、全く忍耐力がなく

もし、付き合った人が
女性を守る気がない男性だったら

すぐに見切りをつけて、別れていたので

Oちゃんと付き合い始めた時も

最初の数週間で

「こりゃ、どう考えても、長くは続かないだろうな。

とても私には耐えれそうにない」

と思っていたにも関わらず

こんなに長く続くことになったのは

私がヒーリングを始めて、自分自身の傷を癒すことが

できるようになったのと同時に

いつの間にか、男性性が優位になって

彼を導いてゆく立場になっていたからこそでした。

これは、彼が私から、レイキやキネシオロジーを学んで
彼自身もプロとしてヒーリングをやることになったことが

大きいと思います。

Oちゃんと付き合い始めた最初の頃は
よく彼に
「のりこって、本当に頑張らない人だよね」
と言われていて
「うん、うん、頑張らないんだよね〜」と
私自身、それが自分の良さぐらいに思っていたのに
いつの間にか、ムッチャ頑張る人になっていたのは
それが私にとって、必要な変化だったとはいえ
誰と一緒にいるかによって
自分の中のどんな性質(遺伝)が引き出されてくるかが
大きく変わるからなんですよね。

離婚してから、1年後ぐらいに

Oちゃんが、私のセッションを受けたいと

久々に私にところに来てくれたのですが

離婚してもなお、彼の私に対する

セラピストとして、そして人としての

信頼は失われていなかったことに、とても感謝でした。

その時に、彼が

「離婚した後、改めて気づいたのは

俺は、どんなにのりこに守られていたのだろうということだった」

と伝えてくれて、涙が出るくらい嬉しかったのと同時に

その言葉が

「俺は、どんなにのりこを守っていなかったかということに気づいた」

のではなかったことで

私の中の男性性があまりにも強くなりすぎてしまったために

もはや、男性から守られる必要さえも

私自身、感じていなかったいたことに、改めて気づきました。

一方で、日々の結婚生活そのものは、ストレスがほとんど

なかったことも、彼との関係が長く続いた要因でした。

恋愛と結婚との違いって

結婚の場合は、相手の親や家族も関わってきたり

子供ができたりすることで

お互いの関係に影響が出てくることだと思うのですが

Oちゃんの両親は、私に何かを要求したり

期待したりすることは、全くなかったし

日本に行った時に何度かお会いしましたが

普段のニューヨークでの生活では

電話で話をすることさえ滅多になかったので

長い間、結婚しているという感覚も持たずにいたのも

私にとっては、楽なことでした。

また、Oちゃんとは、音楽の好みも共通していたし

旅好きなことも、よかったし
彼が、料理が好きになって、よく作ってくれたので
そういう意味でも、楽しいことが

多かった結婚生活だったなあと。

それでも、離婚して楽になったのは、

一人暮らしの気楽さもありますが

それよりも、女性でいながら
パートナーを守り、導いていく必要がなくなった

ということでした。

後から、何人かの友人に

「のりこさん、結婚していた時は

すごくOさんに遠慮していましたよね」と言われたのですが

私自身は、全く遠慮していたつもりはなかったのだけど

別れてから、初めて
気づいたことがたくさんありました。

例えば、離婚前は、オンラインでのセッションを

絶対にやらなかったのは、もし私がやれば

彼の仕事を減らしてしまうかも、という

遠慮(恐れ)からだったし

また、離婚の後、ハワイに行った時に

これまでは、Oちゃんがやっていた奉納の

セレモニーを、初めて私が行って

その時に、圧倒的なペレとのつながりを感じ

過去世での天のメッセージを

受け取っていたお役目をありありと思い出して

「ああ、これはまさに私の役目だった」

ということに気づくことができたのでした。

もちろん、Oちゃんは、私のやりたいことを

止めるような人ではなかったので

彼のせいでは全くないのですが

私自身が、彼を守るために

(無意識に)私の可能性を

ある程度までで抑えていたことに

改めて気づくことも多かったです。

彼との恋愛や結婚生活では
女性として守られる、という感覚は

正直、持てなかったけれど

相手に期待しない

相手を変えようとしない

すぐに結果を求めない

相手を長い目で見守り、導いてゆく

という性質や意識が私の中で芽生えて

その忍耐力や育んでいく力は

そのまま、今、私が人にセッションを行ったり

セラピストを養成していくために

必要な資質でした。

だから、彼の存在そのものに

そして、長いおつきあいに感謝しかないのです。

2019年にいきなり離婚になった時に
すぐに意識を切り替えて
新たな可能性を開いて行くことができたのは
それまで、自分の中の
女性としての傷を癒してきたこともあるし
この結婚からの学びのプロセスは、もう卒業である
ということを
マスターからのメッセージで気づいたからでした。

ということで、男性性と女性性という見地から

恋愛ストーリーを書いてきましたが

(他の見地からも、紐解いてきたのですが

話が長くややこしくなるので、ここでは割愛して)

離婚後も、完全に男性性優位になっていた私に

(仕事の喜びが大きすぎて、恋愛する気全くなし🤣)

警告を鳴らしてくれたベレと

宇宙に感謝を捧げつつ。


これからの私の学びのプロセスはどうなって行くのか?
男性性と女性性のバランス
与えることと受け取ることのバランスは
もっと取れるようになるのか?

離婚から4年経って

今、新たなフェーズに入ってゆこうとしているのを
感じています。

また、新たに何かを報告することになるのか

または、何年か後に、振り返ることになるか分かりせんが

ここまで、読んでくださって、本当にありがとうございます。

ふ~なんとかまとめた~。

これを読んで、誰も傷ついてないといいんだけど🙏






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最終更新日  2023年06月13日 07時38分40秒
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