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カテゴリ:本・コミック・雑誌・新聞
蒼き鋼のアルペジオ(01) まったくのカンで買いました。 久しく読まなかった「潜水艦マンガ」です。 「サブマリン707」や「青の6号」以来かも。(古!) 主役の潜水艦は「イ号401」の改良型。 コミックの定石通りクライマックスの潜水艦の大活躍から始まります。 当たり前ですが、相当調べて描いてます。 少し話は逸れますが、コミックにはオープニングの定石があります。 所謂、面白いコミックは大体定石通りに始まります。 それは、ハリウッド映画にもありますし、欧米のお芝居にもあります。 が、日本の映画や芝居にはどうやらその定石がないようなのです。 日本の脚本の書き方には最近少しだけこの「定石」から始めよ、みたいな論が出てきましたが、それでもまだまだ少数意見のようです。 お芝居に関してはほとんど皆無です。 というか、「戯曲の書き方」という類の本はホンの数冊しか出ていません。 故にハッキリしたことは分かりませんが、私が読んだ「はじめての劇作」(デヴィド・カーター著)と云うアメリカ発の本にはちゃんと定石から始めよ、みたいな文章がありました。 実は日本のアニメが欧米で受け入れられる理由はココにあるのではないかと思います。 ココとは「定石」から始まっていると云うことです。 ですから、個人的には日本のアニメの脚本家の腕前は世界で通用するとみています。 と、すれば、他のジャンルでもこの論法を用いれば世界で通用する作品を作れるのではないでしょうか、と思っています。 と、すると、問題は、演出か俳優かはたまた……、と云うことになると思います。 あっ、何が云いたいかという、やはり、基本的に面白い作品を観たいので、面白ければ「定石」通りでもいいんじゃないかと思っていると云うことです。 または、「定石」を知って「定石」通りにやらないというやり方でもイイと思っています。 これを分かりやすく云うと「型破り」と云いますが。 一番の問題点は「定石」または「型」を知らずにモノを作っていると云うことだと思うのですが……。 本題に戻りますが、この「蒼き鋼のアルペジオ」の世界観の設定ももの凄い物があります。 コミックの自由度の凄さを感じます。 それは、作り手サイドにもあるし、それを受け入れる読者サイドにもあるともいます。 芝居もそうなると良いな、何て、ちょっと思いました。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2010年05月07日 15時16分13秒
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