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翔(はばた)く女性を応援する会社を目指します

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2019.10.27
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昭和48年のヒット曲をご存知でしょうか?

 


『神田川』 『くちなしの花』 『てんとう虫のサンバ』の歌謡曲が


ヒットした頃、みつかいどうプラザは、3月3日にオープンしました。

当時、珍しかったショッピングセンターでした。

 


水海道小学校の跡地に、建てられました。


明治14年に水海道市で建築された小学校。

 

この校舎を設計・建築したのは

水海道の宮大工で棟梁の羽田甚蔵という人物で、

西洋風の校舎を建築するにあたって横浜まで見学に行ったといわれています。

 


文化財保護の観点から昭和46年に茨城県立歴史館の敷地内に移築し、

 

昭和48年に当初の姿に復元しました。

 

 








  


茨城県中小企業団体中央会様のご指導を受けて、

協同組合型のショッピングセンターを小学校の跡地に

作った。


その当時若手経営者が集まり、

勉強会を繰り返して、ショッピングセンターを
作った。
・・・・・・・と会長 故羽富 正三から、教えてもらった。




ある人が言います。「私が、お嫁に来た時に、・・・。」

 


また、ある人は、「子供の頃、母親と屋上で、

怪獣ショーを観た」とか


「おもちゃを買うために 友達と自転車で、・・・。」

 

という声を耳にしました


茨城県では、当時 まだ珍しい商業施設を

 


地元の若き(当時30,40歳代経営者)が、約40名集まり 国や、県に
働きかけて、

協同組合型のショッピング・センターを小学校の跡地にて、建設。
スーパーマーケット(京成ストアーその後ヨークマートなど)
を誘致して、営業を開始した。

 

 


申請、許可を得るために、

時には、議論が熱中して、朝が明けてしまうことも、珍しくなかった。

・・・と当時のメンバーが語ります。

 

本業の商売の後片付けが

終わってからの深夜までのオープン準備会議。


でも、疲れなかった。

 

 

 

 

 

 


なぜ???  『それは、夢に向って走っていたから』と熱く、語ってくれました。


その後、幾度の改装リニュアルオープンを繰り返しながら、

地域住民の利便性を考えながら、地域一番店として存在価値はあった。

 

 

 



しかしながら、平成の時代に入ると、

 

 

近隣に大型商業施設が台頭しはじめ、
地元商店主の経営者の高齢化や、業種、業態の変化もあり、


退店が、年々続くようなって参りました。






1店舗が減り、また1店舗。

 

 

 


残念ながら、

 


平成19年
12月2日(日)

34年間の営業に

終止符を打ちました。


 

 

 

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・


時代は変わり、大型商業施設の時代へ突入した。

つくば市に、巨大な商業施設の誕生。

近郊のお店の廃業、倒産が
多くなってきた。

 

商店街は、消店街になり、

近隣の商店街や、協同組合のショッピングセンターは、倒産や、縮小になっていった。

 

では、今後どうしたら?

良いか?

やる気のある若手経営者の集まりが必要?

 

 



 中小零細の得意の分野を伸ばす。

それは、接近戦です。

局地戦だと思います。

 

協同組合のおかげで、ここまで会社が育った。

でも、被害も大きかった。

卒業するタイミングが、必要である。

・・・・・ということを学びました。

 




いかがでしょうか???

参考になりますか???

 





どうしても、どうしても、先送りをしたがる。

この私も、そうしてきました。


社長業は、決断業です。
悩みながらも、悩みながらも、変革していかないと

お店は、存続できません。


「ヒットより、フィットの時代ですね。」











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最終更新日  2019.10.27 20:09:52
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